核兵器のない世界の実現を目指して藤沢市議会に陳情を提出した 垰下(たおした) 雅美さん 稲荷在住 87歳
平和の橋渡しを
○…かつて地獄を見た。あの惨禍を、二度と繰り返させまい。その思いが市議会を動かした。3月、政府が核兵器禁止条約を巡り積極的な役割を果たすよう求める陳情が可決され、政府に意見書が届けられた。過去に2度、条約を巡る請願が否決された。今さらとも思った。だが、有志に背を押され、奮い立った。
○…小学3年生の夏。疎開先の校庭で空から黒い粒が数個降りてくるのに気が付いた。刹那、閃光が辺りを覆い尽くし、間を置いて爆風に襲われた。ピカ、ドン―。広島に投下された原子爆弾の余波だった。不思議な色をした雲から黒い雨が降り、ワイシャツに染みた。夕暮れ、山のように人を乗せた荷台が次々と村に運び込まれた。うめき声。手当ができずに次々と人が亡くなっていく。焼き場が足りず、河川敷で石を積んで遺体を焼いた。煙が立ち上り、異臭が立ち込める。悪夢のような光景だった。
○…50代で藤沢に転居。後世に戦争の悲惨さや平和の尊さを伝えようと、藤沢市被爆者の会の会長を務め、語り部や平和ミュージカルなどにも尽力してきた。陳情は、昨年末、広島での経験を基にした朗読劇が上演され、企画した女性4人に陳情の提出を提案されて。「願うだけでは変わらない。行動に移す大切さを改めて痛感した」
○…引地川親水公園へのウォーキングが日課。昨年大病もすっかり快調し、「運動とおしゃべりが健康の秘訣」と笑う。被爆者は高齢化が進み、自らも年末には米寿を迎える。残された時間はそう多くはない。だが、当事者にしか語れないことがある。今年、学校での講演活動を再開するつもりだ。「唯一の被爆国として核兵器を禁止する話し合いの場で橋渡しを。核のない世界を諦めないで」。託したい思いだ。
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