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藤沢 社会

公開日:2026.08.14

【戦後81年】夏空の光景と自由の重み 川名在住 相原利夫さん(96)

  • 自著『古いトランクの中身』を手にする相原さん

    自著『古いトランクの中身』を手にする相原さん

 セピア色に霞む一枚の写真に目を落とす。父が仕立て屋を営んでいた故郷、長野県上田市の素朴な街並み。川名に暮らす相原利夫さん(96)は、回顧録の頁を手で撫でながら静かに語り始めた。

染まるオレンジ

 幼少期は日中戦争のただ中で、提灯行列や旗行列で湧き立つ光景を見て育った。

 戦争の影が色濃く忍び寄った青春時代。横浜鶴見にあった市立の工業学校へ進学。しかしそれは学生からペンを奪い、過酷な学徒勤労としての日常へと駆り立てた。

 日本鋼管の造船所で来る日も来る日も旋盤のそばに立ち、切削油を差す役割だった。多感な少年期、毎晩のように米軍機B―29の爆音が、夜の静寂を切り裂いた。

 忘れられない光景がある。1945年5月の横浜大空襲。「落ちてくる焼夷弾。炎で不気味なオレンジ色に染まった」。高台にあった寮の近くから見下ろした街は一面、焼け野原と化し、黒煙に覆われ、虚脱状態の人々が立ちすくんでいた。

 7月になると艦載機が京浜地区に姿を現し、機銃掃射を仕掛けてきた。銃弾は友人の一人の頭部を貫通。返らぬ人となった。漆黒の闇を焼き尽くし、大切な人を簡単に奪われてしまう異様な惨状は、今もトラウマとして心に焼き付いている。

 そして8月15日。夏休みで長野の実家に帰省していた時、玉音放送で終戦の報を聞いた。「軍事統制の中でやることなすこと全て縛られていた。ああ、これで自由なれたんだという解放感があった」。負けた悔しさや悲しさの奥から込み上げてきたのは安堵だった。

情熱と奉仕

 終戦直後の年の暮れ、身を寄せたのが伯母の住む藤沢だった。戦後の混乱期、あらゆる人が集う土木作業場に飛び込み、汗を流した。「人に支配されるのは嫌い。自分の足で生きよう」と決意した10代の情熱が、その後の人生の糧となった。

 水道事業を自らの手で切り拓いてきた。苦労を重ねてきた手はごつごつと大きい。時代に翻弄されながらも強く生き抜いた証が、しわとともに深く刻まれている。

 藤沢南ロータリークラブのチャーターメンバーとして、地域への奉仕も惜しまなかった。

 「私を育ててくれた街で困っている人に、少しでも救いの手を差しのべること。それが平和」

私利私欲なく

 世界では紛争が続き、平和を脅かす報道が絶えない。かつて不気味な夏空を見上げた場面と重なり、心を痛める。

 「戦争を起こすのは、いつも一部の権力者の私利私欲。一般人は誰も戦争なんて望んでいない。戦争は絶対にやるべきではない。身をもって体験したから言えるんだ」

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