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藤沢 社会

公開日:2026.08.14

【戦後81年】「お国のため」消えた日 片瀬在住 飯田玲子さん(93)

  • 当時を振り返る飯田さん=写真上。東条英機首相と(本人提供)

    当時を振り返る飯田さん=写真上。東条英機首相と(本人提供)

 「先生、これからどうやって世界制覇するんですか」。終戦直後、焦土と化した校舎を出て、真新しい教室で発した問いは、教壇の前にむなしく響いた。「そんなこと考えるんじゃないよ」。教師にたしなめられ、それまでの人生と信じ切っていた世界は、音を立てて崩れ去った。

「申し訳ない」

 都内出身で現在は片瀬在住の飯田玲子さん(93)は1941年11月の開戦直前、愛国少年分団として靖国神社を清掃していると、新聞記者に囲まれやってきた男性に声をかけられた。「何年生?お国のために頑張って」。声の主は当時の東条英機首相だった。

 日常は「強くて勇ましい軍国少女」になるための教育で塗り固められていた。学校ではなぎなたを扱い、手工で火消し棒を作り、国語や音楽では軍艦の勇姿や満州の豊かさを歌う詩、曲を繰り返し歌った。「兵隊さんに申し訳ない」と寒さの中でも靴下を履かず、小遣いを貯めては陸軍省へ献金する日々。それが自分たちの役割だと信じて疑わなかった。

笑っていた操縦士

 戦況が進むにつれ、やがて突きつけられたのは死の恐怖だった。

 夜は爆風でガラスが破れるのを防ぐために窓を開け、頭から布団をかぶる。「ビューッ」と毎晩のように迫る音に身を縮め、「ダーン」と炸裂する爆音を聞くたびに「ああ、まだ生きていた」と胸をなでおろした。

 疎開中の家族のもとへ物資を運ぶ途中の機関車では、機銃掃射にさらされた。列車は緊急停止し、車体の下に潜り込んだ。駅で降りた後にも、再び敵機の爆音が耳を刺した。改札へ飛び込んだ瞬間、振り返ると赤子をおぶった母が、自分が投げ出した荷物を拾っていた。「そんなもの拾わないで」。ホームへ飛び出すと、すぐ横を「ダダダダ」と機銃掃射の弾丸が通り抜けた。機体の操縦士は、笑っているかのように見えた。「戦意をくじくためにあざ笑い、自分たちをからかっていたんじゃないか」

 難を逃れて駆け込んだ倉庫の中で問いかけた。「お母さん、私たちここで死んでも、何のために死ぬか知ってるわよね。でも赤ちゃんは生まれてきたばかりで何も知らないのに、ここで死んだら何のために生まれてきたの」。いつの間にか敵機は去っていた。

「空っぽ」

 終戦の日。泣き崩れる兄の横で、頭に浮かんだのは「もう死ななくて済む」という安堵だった。ふと外を見上げると、澄み切った青空が広がっていた。空の上で白く光りシラミのように見えたB―29はもういない。空襲の音が消えた静寂の中で湧き上がったのは「困った」という思いだった。「いつ死ぬのかしか考えてこなかったから」。生きる目的を失った心の中が「空っぽ」になった。

 信じていたものを突然否定された衝撃は長い間自身を苦しめた。今も世界で起きている戦争。「力任せの破壊や強い者が偉いという風潮はおかしい。誰もが幼い頃は大人に育てられ、年を取れば弱っていく。人が強者でいられる時間は長くはない」と強者を尊ぶ思想を否定し、訴える。

 「一人一人の価値観を大切にしてほしい。未来はそれしかない」

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