藤沢 社会
公開日:2026.11.06
下土棚諏訪ノ棚遺跡から出土 弥生時代の米、何を語る 調査担当者に聞く歴史の謎
約1700年前(弥生時代後期)の藤沢は、どんな場所だったのか――。下土棚で実施されている「下土棚諏訪ノ棚遺跡第10次発掘調査」で今年9月中旬、当時収穫されたと見られる米粒が約8万9000粒発見された。遺跡の魅力と米の謎について、調査を担当する(株)玉川文化財研究所の西野吉諭さんに話を聞いた。
下土棚諏訪ノ棚遺跡は同地区「夏刈」(県道22号線)交差点北側の、引地川と蓼川の分岐点に位置する集落跡。1998年から断続的に行われた調査では、旧石器時代のナイフ型石器や生活痕跡、中近世に掘削された道路の跡などが発見されている。一方、縄文時代の痕跡が落とし穴のみであるほか、上代の遺跡は確認できず、定住痕跡が途絶えた空白期もある。
弥生時代の痕跡は約70軒竪穴住居の居住域と、やや離れた場所に四角い溝の囲みが特徴の方形周溝墓が見つかっている。同地に集落が形成された理由について西野さんは「川が近く見通しが良いという点で、生活や交易がしやすい場所だったのでは」と推測する。
米が見つかったのは、遺跡の住居址からやや外れた北西側。焼土や炭化粒を多く含んだ土から出土した。「炭化粒は普通四角いものが多いが、ここでは丸いものが多かったことから『お米なのでは』と思った」と西野さんは振り返る。土を入れた土のう袋14体分から、炭化物と土・小石を水でかき混ぜて選別するウォーターフローテーションという方法で検出された。重さは約650グラムで、弥生時代後期の古代米(ジャポニカ)とされる。県内では、平塚市・北金目塚越遺跡で出土した炭化米約5キロに次ぐ量という。
「過去にも同じ時期の米の出土を見たことがあるが、今回は大量」と西野さん。だが今回のように集落の外れで見つかるのは珍しいという。「脱穀済みの米がなぜその場所に放置され、焼けているのかは全くの謎」。米は一年草であるため、放射線による年代測定を行うと収穫時期の詳細な年代を特定しやすく、その時代の資料にもなるという。西野さんは「この遺跡では多くの貴重な史料が発見されており、調査には意義があった」と話している。
調査は旧石器時代の掘削を主とし、来年2月中旬まで行われる予定。出土品・調査成果は、報告書作成の後、藤沢市郷土歴史課に移管される。
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