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公開日:2026.01.01

平塚市
馬入の地名に頼朝伝説
時代駆けた武将に由来

  • 相模川にかかる馬入橋

    相模川にかかる馬入橋

  • 旧相模川橋脚

    旧相模川橋脚

 2026年は午年。平塚市内には、馬入橋や馬入川といった地名があるが、その由来は、鎌倉幕府をひらいた武将・源頼朝にまつわる伝説にまでさかのぼる。

 江戸時代に、幕府が調査し編纂した「新編相模國風土記稿」によると、建久9年(1198年)に、頼朝の家臣であり武蔵国を治める稲毛重成が、亡き妻の供養のために相模川の茅ヶ崎と平塚の間に大橋を架設し、渡り初めの式を行った。その際に、当時将軍だった頼朝も参列。式は無事に執り行われたものの、突然頼朝の馬が荒れ狂い、頼朝を乗せたまま川の中へ飛び込んだと伝えられている。この橋の橋脚だと推定される木柱は関東大震災の際、茅ヶ崎市下町屋の水田の中から突如出現。「旧相模川橋脚」として国指定史跡・天然記念物となっている。

 平安時代の末頃(900〜1000年)にはすでに馬入地域に集落があったとされるが、『更級日記』(1020年)や『平家物語』(1182年)には馬入という地名の記述はなく、「相模川」という記載だった。

 「馬入」の地名についての文献で最も古いものは、『三浦和田文書』にある、頼朝の伝説から100年以上が経った建武2年(1335年)の記述。「相模乃はんにうへ与党人退治の為、侍所御代官向せ候間、馳向い了んぬ」とあり、「はんにう」の部分が「馬入」を指すといわれている。

 平塚市博物館の早田旅人学芸員は「源頼朝は武家政権を実現させた武将として、徳川家をはじめとする武家にとって大きな存在だった。鎌倉時代に起こったできごとが長く地域に語り継がれたのでは」と話していた。

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