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公開日:2026.06.16

【寄稿】伝統と革新が融合する片岡の祭礼平塚市に鎮座する片岡神社の例大祭タウンニュース市民ライター「相模国神社祭礼/添田悟郎」

  • 片岡のみなさん(宮出し前)

    片岡のみなさん(宮出し前)

  • 神社役員のみなさん

    神社役員のみなさん

  • 相談役の久保田岳男さん

    相談役の久保田岳男さん

  • 副会長の小巻邦道さんと会長の渋谷真一さん

    副会長の小巻邦道さんと会長の渋谷真一さん

  • 統制長の嶋田雅一さん

    統制長の嶋田雅一さん

  • 【寄稿】伝統と革新が融合する片岡の祭礼平塚市に鎮座する片岡神社の例大祭タウンニュース市民ライター「相模国神社祭礼/添田悟郎」 (写真7)

祭礼に密着

 平塚市片岡に鎮座する片岡神社では毎年5月3日に例大祭が行われ、2台の太鼓山車と1基の大神輿が渡御する。太鼓と神輿共に非常に多くの団体が参加し、市内でも最大級の盛り上がりを見せる祭礼である。私が初めて片岡を訪れたのは平成20年(2008年)で、以降、太鼓連を中心にお付き合いをさせて頂き、平成21年(2009年)と令和元年(2019年)の2回に渡って、宵宮と例大祭を取材してきた。今回、令和8年(2026年)に行われた例大祭で3回目となる密着取材を行い、私が平塚市で一番良く知る片岡の祭礼を紹介する。

「相模国神社祭礼」は神奈川県内(旧相模国)の神社の祭礼を中心に紹介するウェブサイトで、祭りを通して地域の活性化につなげることを主な目的としている。

祭礼の歴史 〜片岡のシンボル 山車の焼失〜/ 神輿保存会 会長:渋谷真一さん

 かつて、片岡には人力の山車が1基あり、小田原の彫師による彫刻が全面に施されていたという。拝殿には昭和30年(1955年)4月12日と昭和35年(1960年)4月24日に撮影された山車の写真が残され、当時の祭礼は4月に行われていたことが伺える。山車は明治44年(1911年)頃に結成されたといわれる「片岡耕友会」によって管理され、補助金を出し合って太鼓を買い、祭りになると山車を曳いて太鼓を叩いた。祭りの余興として神楽や芝居を呼んだり、映画会を催した時代もあった。祭礼運営の中心を担った耕友会(前身は青年会)のために、祭りの後には彼らをねぎらう目的で「ハチハライ」が行われ、かつては金目川沿いで花見をしながら酒を酌み交わした。残念ながら、山車は昭和50年(1975年)頃の火災により保管してあった小屋ごと焼失し、運よく残った彫刻だけが拝殿や神輿殿に保管され、現在は2台のトラック山車に取り付けられる。山車があった頃の祭りは大変賑やかで、近郷近在から大勢の人が訪れたという。

 太鼓保存会の相談役でもある渋谷真一さんは、小学3年から6年まで育成会として太鼓に参加したが、中学生で部活に打ち込むようになると祭りから離れた。時は経ち、小学生になった渋谷さんの長女を太鼓練習へ送迎しているうちに、ふと子供の頃の記憶がよみがえり、思わず太鼓を叩きたくなった。太鼓への飛び入り参加がきっかけで神輿保存会へ 入ると、渋谷さんの父親が長年、神輿や太鼓に携わっていたこともあり、直ぐに周りの会員とも打ち解けることができた。太鼓だけでなく神輿にものめり込んでいった渋谷さんは、気が付けば太鼓の指導者を任され、その数年後には神輿の副会長まで任されるようになった。そして、令和5年(2023年)に第12代会長に就任した。太鼓と神輿の両方の代表を経験してきた渋谷さんは、今後の片岡の祭礼の歴史を担う重要な人物となっている。

神輿の誕生 〜山車から神輿の祭りへ〜 / 神輿保存会 相談役:久保田岳男さん

 山車を焼失してがっかりした片岡では、坂道を人力で引っ張るのが大変だという意見もあり、山車の再建には至らなかった。そこで、神輿を作ったらどうかということで、久保田勉氏と小巻照夫氏の2名が発起人となり、神輿の睦会である平塚一眞會の会員というつながりで、伊勢原市小稲葉の大工の高崎眞彰氏と平塚市四之宮の家具職人の笹尾隆氏の2名が中心となって、神輿を建造することになった。こうして昭和57年(1982年)に手作りの神輿が完成し、台輪裏には高崎氏と笹尾氏、そして片岡耕友会の名が刻まれた。同年に耕友会は「片岡神社神輿保存会」と改称し、現在も神輿の運営を担っている。また、2台のトラック山車も同時期に製作され、現在の祭礼のかたちになった。

 久保田岳男さんは幼少期から父親の勉さんとよく祭りへ行き、今の何倍も荒々しく担がれる神輿を好きになった。小学校に入ると太鼓を始め、中学生になった頃に神輿を担ぎたいと思ったが、当時の神輿保存会には近い年代が少なく入りづらかった。そんな時、父親が入っていた平塚一眞會に友達5名と共に入会し、平塚市内だけでなく東京の三社祭、横須賀や江ノ島と色々な祭りに参加するようになったが、高校卒業後に仕事を始めてからは徐々に参加回数が減り、20歳頃に退会した。その後、結婚を経てまた神輿を担ぎたいと思うようになり、神輿保存会に入会すると統制長、副会長、会長を歴任した。「片岡の神輿保存会は本当によい会だと思っています。皆で話し合い、酒を飲み、深い絆で結ばれ、よい若手も育っています。これからも神社、神輿、太鼓、自治会など、片岡の全ての人と協力して例大祭を今以上に盛り上げて行きたいと思います」。今年、結成45周年を迎える神輿保存会を相談役として支え、平塚一眞會の会長も務める久保田さんは、今日も他地区の神輿担ぎの応援へ向かう。

太鼓の改革 〜太鼓好きが継続できる会へ〜/ 太鼓保存会 代表世話人:佐藤駿さん

 太鼓保存会の代表である佐藤駿さんは小学3年生の平成12年(2000年)に太鼓をはじめ、高校1年生だった平成19年(2007年)の時に「若竹太鼓連」が組織された。佐藤さんは高校まで太鼓を続けていたが、太鼓連は神輿保存会の下部組織であったため、高校卒業後に太鼓をやめて神輿へ行くという暗黙の了解があり、神輿へ積極的に参加する気になれなかった佐藤さんが祭礼に関わる機会は激減した。もちろん、佐藤さんと同じ想いで太鼓連だけでなく祭礼そのものから去っていく者がいた。大好きな太鼓を自由に続けられないという状況が続く中、佐藤さんを救ったのが当時の代表の渋谷さんであった。

 太鼓連の指導者を若い人に引き継ぐ流れになり、渋谷さんが世話人に抜擢されると、佐藤さんを指導者および管理者として誘ったのである。その後、渋谷さんは太鼓が好きな人が長く続けられる様に、平成27年(2015年)に「片岡神社太鼓保存会」と会の名称を変更し、神輿と同等に神社直轄の団体とした。渋谷さんはそれまで規律が乱れていた会の改革にも着手し、定期的に練習を開催して、練習に参加する会員を本番で優先的に叩かせるなど、大きく方針を転換した。もちろん内部では反発もあり、既存メンバーがほとんど脱退するなど、一からのスタートとなった。その様な状況でも、渋谷さんと佐藤さんは試行錯誤しつつ、現在のような太鼓を楽しめる規律の整った会を作り上げたのである。

 令和元年(2019年)に渋谷さんから代表を引き継いだ佐藤さんが苦労していることは、育成会の解散によって小学生を集めることが難しくなっている点で、現在は回覧板で募集をしたり、親戚の子供を紹介してもらうなど試行錯誤をしているという。「今後は自分の受け継いだものを無理なく役割分担をし、次の世代へ渡してサポートをしていけたらと考えています」。自分と同じ苦しみをさせたくはないという強い想いで、佐藤さんの挑戦はこれからも続く。

片岡の神輿渡御 〜先輩からのバトンを受け継ぎ〜 / 神輿保存会 副会長:小巻邦道さん、統制長:嶋田雅一さん

 片岡の神輿渡御は前半(午前)と後半(午後)に大きく分かれ、午前は地元の金目地区の友好団体が主に応援をし、後半はそれ以外の友好団体も加わる。神輿保存会の副会長は3人いるが、午後の神輿渡御は非常に多くの担ぎ手が参加するため、副会長の数の多さも渡御の盛大さを物語っている。副会長の一人で祭り好きの小巻邦道さんは、小学生の頃に聞いた太鼓の音が全ての始まりであった。思い返せば「かっこいい、自分も叩きたい」と太鼓に夢中になり、中学生からは神輿も始めた。「威勢の良い掛け声と共に地域が一体となる初めてのあの感覚は、何年経っても色あせません」と語る小巻さんは、副会長となった今でも先輩方から教わることばかりだという。「何より好きなのは、お祭り当日のあの空気感です。子どもからお年寄りまで、普段は静かなご近所同士が自然と笑顔で声を掛け合い、みんなが集まって神輿や太鼓で地元が最高に盛り上がる。あの瞬間に立ち会えることが、自分にとって一番の幸せです」。伝統を守りながらも堅苦しくなく、若い人たちが「祭りって楽しいじゃん!」と素直に感じてくれるような雰囲気作りを目指し、今年も小巻さんの甚句が片岡に響き渡る。

 神輿の周囲で常に大きな声で盛り上げる男女の姿が目に映った。統制長を務める嶋田雅一さんは小学生の頃に参加した太鼓がきっかけで祭りの楽しさを知り、その後は神輿にも興味を持つようになって保存会へ入った。嶋田さんの父もまた祭りが大好きで、父とその仲間が神輿の指揮や進行を担うために作ったのが同会の統制部であった。二代目の統制長を務めた父は18年前に身体が不自由になり、祭りには参加できなくなったが、 毎年、片岡の例大祭を楽しみにしていた。「私の好きな片岡甚句の詩にあるように、同じ時代に同じ片岡に生まれ、出会った仲間たちとお祭りを楽しみ、それを後世に継なげていければと思います」。代々受け継がれてきた統制長のバトンを受け取った嶋田さんは、今は亡き父とその仲間への感謝を胸に、明るい笑顔で智子さんと一緒に兄妹でメガホンを握る。

安全・安心な祭礼を 〜祭りを陰で支える功労者〜 / 交通指導員:田邊義和さん

 私が今から18年前に祭礼の取材を始めた当初、何の伝手もなく、調べた祭礼日だけを頼りに、見ず知らずの地での飛び込み取材には常に不安しかなかった。そんな中、警備員の姿で神輿を誘導していた1人の男性に声を掛けて頂いた。片岡の氏子で、神輿保存会の書記として長年同会を支えてきた田邊義和さんは、片岡の祭礼の歴史を知り尽くし、片岡の祭礼関係者の誰もが認めるレジェンドの一人である。田邊さんは金目支部の交通指導員としても長年尽力し、今年の片岡の例大祭でも5名の仲間と共に誘導灯を振り、物静かなたたずまいとは裏腹に、その鋭い眼差しで全神経を神輿渡御に注ぎ込んでいた。

 平塚市の「交通指導員」は平塚市交通安全協会に所属し、交通安全と交通事故防止のために市や警察、そして学校などと協力し、道路交通指導と交通安全思想の普及を行っている。金目地区では5月の片岡と10月の南金目の2つが特に大きな例大祭で、南金目では3基の神輿と4基の山車が地域を巡行する。双方ともに連休時に斎行されるため、県道62号(平塚秦野線)と63号(相模原大磯線)では、小田原厚木道路の平塚IC(片岡)からの流入などもあり、交通渋滞や運転者からの苦情を引き起こす可能性がある。「神輿渡御では車両の片側交互通行を実施していますが、渡御の列が長くなると巻き込み事故等が懸念されますので、神輿前方の列が長くならないように注意しています」と説明する田邊さん。事故と怪我のない安全・安心な祭礼をモットーに、今日も仲間たちと誘導灯を振る。

 祭礼では太鼓の叩き手や神輿の担ぎ手など、華やかな方に目が向くのは当然だが、私にとっての交通指導員は祭りを支える主役であり、この寄稿で最優先に伝えたかった事柄の一つである。私が現在まで取材を続けて来られたのも、田邊さんとの出会いのお陰であると言っても過言ではなく、この取材前から既に田邊さんへの打診は決めていた。残念ながら交通指導員の高齢化は進み、多くの地区で後任者が減少している状況であるが、このコラムを読んで頂いた方の中から、1人でも多くの方が手を挙げて頂ければ幸いです。

取材を終えて

 片岡神社の祭礼の歴史の中で一番大きな転換点は、かつて片岡のシンボルであった山車の焼失である。大神輿の誕生によって現在の盛大な祭礼に成長し、片岡は近隣の祭礼に大きな刺激を与える存在となった。この史実は時と共にだんだん薄れて来てはいるが、片岡の力強い太鼓の音色が、この史実を未来永劫語り継ぐであろう。この片岡神社の祭礼だけでなく、金目地区すべての祭礼が後世に末永く伝承されることをお祈り申し上げます。

タウンニュース市民ライターとは

「タウンニュース市民ライター」とは、(株)タウンニュースが認定する、地域の市民ライターです。市民の視点で地域の魅力を再発見し、情報を発信してもらいます。

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