日本国憲法の制定過程から学ぶ 旧安田善次郎別荘跡 〈寄稿〉文/小川光夫 No.78
これまで、財閥の別荘として大磯の三井、三菱、古河の別荘について紹介してきたが、大磯には安田財閥の創始者安田善次郎の別荘・庭園も残っている。善次郎が同郷の浅野総一郎の事業を支援していたことから別荘地を譲り受け1917(大正6)年にこの大磯地に別荘を建てた。
別荘は大磯駅から5分ほど歩いたところの平塚よりの小高い山の中腹に建っているが、住宅地にあり意識して探さなければ気がつかないところにある。
善次郎は天保9(1838)年に富山県で生まれ、安政5(1858)年に江戸に出てきて玩具屋、鰹節兼両替所に勤め、後に安田銀行(富士銀行からみずほファイナンシャルグループに)や損保会社(現在の損害保険ジャパン)などを創設した。また日本電気鉄道や帝国ホテルの発起人となったり、福島の原発事故で話題になっている東京電力の前身である東京電灯会社などにも関わった。善次郎は東京大学の安田講堂や日比谷公会堂などを寄贈したことでも名を知られているが、1921(大正10)年、83歳のときに、大磯の別荘である寿楽庵で、ホテル建設の談合を迫った朝日平吾によって刺殺された。
写真「持仏堂」は、大磯観光協会の主催した「旧安田善次郎邸さつきのお庭と大磯自由散策」のときに撮ったものである。この建物は震災前の母屋の跡に建てられたものであるが、この辺りにあった応接室で善次郎が殺された、との観光協会からの説明を受けた。敷地内には母屋だけでなく正倉院を模した校倉造りの経堂や茶室、石造十三重塔などが今でも残っている。建物・庭園は古河庭園のような派手さはないが、純和風のすがすがしさが感じられる。
寿楽園は、善次郎が遊園の地として町民に開放したいということから名付けられたが、現在の建物や庭園は関東大震災で破壊したことから画家の安田靫彦が設計し復元・再建したものである。この建物は、現在、安田不動産会社が管理しているが、度々善次郎の意志を受け継いで町民に開放されている。
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