青葉区 コラム
公開日:2026.07.30
寄稿連載Vol.55 大山街道を行く 文 横溝潔(郷土史家)
医薬神社をあとにして大山街道を先に進む。今回のキーワードは「茶店」。一里榎の所に「腰掛茶屋」があり、急坂を上った先には和田の「池の谷のみせや」、さらにその先には「せんべい屋原みせ」と3軒の店やが明治30(1897)年頃まであったという。現在は開発により往時の道跡はない。
本来の道は、一里榎の先を左折し現在のテニスコート住宅地を右折して急な坂をのぼっていた。現在では柿の木台の信号をもえぎ野方面に向かい直ぐ左に行く道がある。藤が丘地区センターへと続く道だ。昭和8年に新設された道だが勾配はさして急ではない。しばらく進むと左手にショートゴルフ場があり反対の右手高台に旧家がある。「池の谷のみせや」の石原家である。ゴルフ場は以前は栗山だった。いまの地盤より8mほどの高さがあった。現在の石原家の入り口だが、そこが旧大山街道の街道の跡という。失われた旧大山街道は石原家の場所まで大変急な坂道を登ってきていたのである。
店やを始めたのは明治維新の頃で当時の石原家の当主は千代吉さん。天保6年生まれというから、30歳を過ぎた年齢だった。手作りの安倍川餅やお菓子、お酒も提供し、離れも備えていた。農業をはじめ金融業、さらには看板書きなどの書道の特技を発揮したという。商売も大変な繁盛をしたという。見晴らしの良いところで旅人はしばしの休息をとったことだろう。ただ、明治の中期になると大山街道の人通りも少なくなり店をやめたという。
ところが千代吉さんは明治13年1月31日より3月21日まで50日間の徒歩旅行をおこなった。そしてその道中記を遺されていた。それをもとに千代吉さんのひ孫にあたる石原博さん(昨年ご逝去された)が平成12年9月30日に『明治拾参年―伊勢参宮道中記』として出版された。伊勢神宮の参拝から奈良・大阪・四国・岡山・京都・さらには中山道へ善光寺参りと大旅行であった。店やの営業を通じて様々な旅行者との交流の中で自身も旅たちを考えられたという。アップダウンのきつい道ながら多くの文化の交流もあったという一例と考えられる。発行当時は多くの反響があり覚えていられる方も多い事だろう。
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