港南区・栄区 社会
公開日:2026.08.13
丸山台在住 幸村さん 「地 獄 も い い と こ」
熱いよ〜、熱いよ〜と泣き叫びながら焼け死ぬ姿を横目で見ながら一目散で逃げ戸部小学校についた――。
1945年5月29日未明、米軍爆撃機「B29編隊517機」が午前9時20分頃に横浜上空に達し、10時半頃までの1時間で総数43万8576個の大量の焼夷弾が投下された。この横浜大空襲を経験したのが、当時5歳半だった丸山台在住の幸村圭子さん(86歳)だ。
集束焼夷弾は中区、西区、南区、神奈川区を中心に、横浜市街地は猛火に包まれた。幸村さんの実家は戸部警察(西区)の近くで父親が理髪店を経営していた。「町内から”敵機来襲”の警戒警報が鳴り響き、御所山方面へ姉に手を引かれて逃げた」。爆撃投下が一段落した11時頃に自宅防空壕に収めた食料品を取りに戻ると家もろとも焼け焦げていたという。「地獄もいいとこ…」
その後、一家で磯子区の滝頭に住むようになった。食物も何もない時代、幸村さんは、焼野原の横浜で紐につるした「U字磁石」を母親に持たされて釘などの鉄くずを集めた。「母親が集めた鉄くずをクズ鉄屋さんに持って現金にしていた。火種がなくても火をおこすことができるし、なんだってやったわ」。中学生になるとサイダー工場のラベル貼りなどで家計を助けた。大空襲で理髪店を失ったが、父親は警察関係者からの紹介で横浜各地の警察署内で署員の髪を整えるように。また、藤棚商店街内に「さっぱりけんバーバー」という店舗も構えていたという。
戦禍を生き延びた幸村さんは「戦争は二度とやってはいけない。絶対に繰り返してはならない」と語気を強めた。
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- 横浜大空襲(外部リンク)
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