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保土ケ谷区 コラム

公開日:2026.09.10

「保土ケ谷区史」と歩く歴史の散歩道 第10回 富士瓦斯紡績 寄稿 金子宣治

  • 写真1:富士瓦斯紡績保土ヶ谷工場(横浜開港資料館所蔵)

    写真1:富士瓦斯紡績保土ヶ谷工場(横浜開港資料館所蔵)

  • 写真2:富士瓦斯紡績保土ヶ谷工場正門(横浜開港資料館所蔵)

    写真2:富士瓦斯紡績保土ヶ谷工場正門(横浜開港資料館所蔵)

  • 写真3:紡績表門通り商店街(横浜開港資料館所蔵)

    写真3:紡績表門通り商店街(横浜開港資料館所蔵)

 富士瓦斯(ガス)紡績は神奈川県下でも一、二を争う大工場で、最盛期には6000人を超える従業員がいました。この会社は、奥は現在のコーナンのあたりから、保土ケ谷区役所、ガソリンスタンド、先般開業したイオンスタイルのところまで広大な敷地を持っていました。

 また、この会社は、小田原の酒匂川に水力発電所を持っており、その豊富な電力を活用して「富士絹」を生産していました。絹紡績の原料は、近在の川島、西谷、二俣川などの養蚕業から得た絹糸を使っていました。ここの「富士絹」でつくったワイシャツを着ることは、当時の「おしゃれ」だったようです。

 このほか、明治43(1910)年、富士瓦斯紡績の峯水力発電所の完成による電力供給が、程谷曹達(ソーダ)、日本硝子(ガラス)工業などの工場進出の原動力になりました。

 写真3は往時の商店街の様子ですが、富士瓦斯紡績の工場(写真1)の休日には外出する女工さんたちで活気づき、門前(写真2)から続く紡績表門通りとその周辺は、横浜では伊勢佐木町、鶴見潮田商店街に次ぐ賑わいと言われていました。写真3に写っているマントやスズラン灯など懐かしい光景ですね。

 ところで、明治中期から昭和前期に進出した工場群は、悪臭、騒音、有毒廃棄物など工場労働者のみならず付近の住民生活へ影響を及ぼすことも少なくなく、やがてこれらの工場群は、戦災、公害、経営などの理由から、順次保土ケ谷から撤退し、当地では、都市型再開発が進められてきました。

 なお、富士瓦斯紡績は、戦争中は航空機工場に転用され、戦後、米軍に接収されモータープールとして利用されました。昭和33(1958)年8月接収解除後も富士瓦斯紡績は復帰せず、広大な工場用地は保土ケ谷区の中心地区として、区役所はじめ行政機関、商業施設、マンション、公園などと大きく変貌し、現在のようになりました。

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