郷土史には記録されない、たかつの記憶をたどる まちのこぼれ話 第13話 その2 斉藤 二郎さん
◆梨山と桃山
私が小学生のころは、梨山や桃山でとれた果実を箱に詰め、リヤカーで東京の用賀や上馬、あの辺の市場まで売りに行っていました。正確にいうと中里っていうところ、上馬から三軒茶屋の間あたりです。現在、高島屋のある辺りが旧道で、くにゃくにゃ曲がっていて坂道があったのです。こちらから行くと大山街道の二子橋のたもとにおそば屋さんがあって、交番があったところの坂。その坂は梨や桃を積んだリヤカーなんか、ひとりじゃとても動かなくて、後ろから押す手伝いをしてお小遣いをもらっていました。行きはリヤカーを押して、帰りはリヤカーに乗せてもらって。あと、用賀にも坂がありました。二子玉川の坂が特に大変でした。だから子どもでも何でも後ろからリヤカーを押してもらわなきゃ登れなかったのですね。朝早く、学校へ行く前に手伝いをしていました。
桃は夏、梨は秋に収穫があり、私が子どものころは一時期ご飯食べないで、虫食いで売り物にならなくなったものとか、落ちた梨を食べさしてもらいました。小学生のころから自分で包丁を使ってむいていましたから今でも果物をむかしたら上手いものですよ(笑)。多いときは1日20個くらい梨を食べていましたね。梨畑では長十郎、二十世紀、それから菊水っていう三種類を栽培していました。桃は天津桃も作っていましたね。
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