戦国時代に築城された滝山城(丹木町等)が今年、500年の節目を迎えた。加住丘陵に築かれた、東西およそ900mに及ぶ山城。国指定の史跡であり「続日本100名城」の一つ。「中世城郭の最高傑作」とも称され、大の城好きで知られる落語家・春風亭昇太さんも「素晴らしい守りをしている」と絶賛したという。500年を記念しその概要を紹介するとともに、魅力について専門家に話を聞いた。
北条氏照本拠地
北条氏の城と知られる滝山城だが、もともとは多摩一帯を治めていた大石氏によって1521年(大永元年)に築城されたと言われている。
1559年(永禄2)、北条氏照が大石氏に代わり城主に。滝山城は北関東への侵攻拠点、または甲斐の武田氏に備える砦としての役割を担うようになる。
1569年(永禄12)、武田信玄の攻撃を受けたが落城には至らなかった。2万の軍勢をわずか2000の北条勢で守り抜いたともされている。その後、天正10年代(1582〜)に八王子城が築城されるまでの間、氏照領の中心として機能した。
1951年(昭和26)、国史跡に指定。2017年(平成29)には「続日本100名城」にも選ばれた。現在は史跡指定地の大半が東京都の公園用地として、公有地化が進められている。
「鉄砲での戦いの前の時代。弓矢や石を使っていた頃のお城です。遺構が大変良い状態で残っている」。八王子市文化財課の学芸員、横川貴衣(きえ)さん(28)は、滝山城の魅力の一つとして「良好な残存状態」をあげる。「大石氏の城を氏照が改修した。なので大石氏と北条氏の要素が半分半分ある。その点も非常に興味深いです」
築城500年を迎えたことについて横川さんは「どのような風に市民の方々をはじめ、周りに伝わっていくのか、とても楽しみ」と話す。今後、1996年度以降実施されていないという発掘調査が行われれば様々な発見があるとされるが、都の管理地のため、あくまで「期待」にとどまる。現在わかっていることについて横川さんは「ほんの一部。まだ全容の10、20%では」と考えている。
なぜこの場所に?
「戦国時代の山城、丘陵城郭としてよく残っている。一般的に丘陵は開発されることが多いのでここまでのものは珍しい」。市内在住の中世城郭研究家の中田正光さん(74)は評価する。様々な城を見てきた中で、滝山城においては武田軍の攻撃を退けたようにその防御力の高さを強調する。「(敵軍が)本丸にたどりつくまでに50回くらい殺されるのでは」。複雑な地形を活かして構成された縄張(設計)が「とても優れている」という。
一方、中田さんが力を込めるのは「なぜ滝山に建てられたか?」という点。「北条家は早雲の時代から海と川をつなごうとしていた。戦争になると街道は封鎖される。だから海が欲しい」「当時木材が非常に高価であり、経済面で必要と考えた。奥多摩の良質な木材を切り出し、多摩川を使い相模湾を経て、小田原へ運んだ」。滝山に造ったのは「河川交通の掌握」が目的だったとしている。
なお、全貌については「まだ10%もわかっていない」と今後の発掘調査を望む。「どのようなお城だったのか。もっとわかるようになっていったら、(その素晴らしさが)きっと全国に響くはず」
八王子市ではこの築城500年の節目を市民に知ってもらう機会と考え、記念事業として様々なPRを計画している。
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