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横須賀・三浦 スポーツ

公開日:2026.07.10

礎は364日の猛練習 保坂達也さん(峡南高校卒 71歳)

  • 1972年の夏の甲子園に西関東代表として出場

    1972年の夏の甲子園に西関東代表として出場

  • 現在も現役でプレー

    現在も現役でプレー

 山梨県立峡南高校(現・青洲高校)の練習量は異次元を極めた。雨天決行、定期試験中も容赦なし。猛練習は毎日夜9時まで及び、電車を遅らせるため、駅まで走って足止めするのが下級生の役割だった。唯一のオフは元日。ただ、午後には監督宅へ挨拶に赴くのが伝統と決まっていた。

 練習ではシゴキが当たり前だった時代。1年生にしてレギュラーの座を奪い取ると、それを妬む上級生からいじめを受けた。体は生傷が絶えず、満身創痍の日々。親に心配をかけまいと、絶対に練習を見に来ないよう固く言い含めていた。

 主将として迎えた3年生の夏。当時は、山梨と埼玉を合わせた「西関東代表」として出場できる枠は一校だったが、強豪が敗退する波乱の中、にわかに甲子園へのチャンスが巡ってきた。県大会を勝ち抜き、迎えた熊谷商業(埼玉)との代表決定戦。2対1の接戦を制し、学校史上初めて夢の切符をつかみ取った。

 埼玉の球場から電車で帰郷すると、人口3万人足らずの町はまるで英雄を迎えるような盛り上がり。学校までの道は人であふれかえり、次々と握手を求められた。

 ついに踏みしめた夢の舞台。大観衆にも臆せず、「どんなボールも打てる」と自信があったのは一年で364日の猛練習のおかげ。2本の安打を放ちながら初戦で敗れたが、「やりきった」と清々しい思いだった。

*  *  *

 高校卒業後、都内のゼネコンへ就職。徹夜が続く過酷な現場も、「高校時代の練習に比べたら大したことはなかった」。野球で培った不屈の精神は、「体を貫く芯のように」備わっていた。

 古希を過ぎても野球を続け、走塁ではスライディングも躊躇しない。「体中痛いとこだらけ」と笑うが、ユニフォームを着れば途端にスイッチが入る。「命を削ってでも野球をしたい。まさに一球入魂です」

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