横須賀・三浦 コラム
公開日:2026.07.10
三郎助を追う 〜もうひとりのラストサムライ〜 第51回 文・写真 藤野浩章
「桜田門で、なにやら大事が」
◇
井伊直弼は安政5(1859)年9月に老中・間部詮勝(あきかつ)を上京させ、孝明天皇に条約調印への承認を迫る。公家への厳罰をちらつかせての交渉だった。天皇に倒幕の意志は無かったこともあり、幕府がいずれ軍事力さえ整えば鎖国へ引き戻すという説得にしぶしぶ応じるしかなかった。
さらに幕府は、同年水戸藩に渡された「戊午(ぼご)の密勅」を返納するようにという書類も発給させる。水戸藩を中心に幕政改革をせよというこの密勅は、天皇が幕政に直接指示をするという前代未聞のもの。井伊がその返納を求めて徹底的に弾圧を加えたのは想像に難(かた)くない。ところが、これに水戸藩の一部が猛反発。密勅返納を阻止するために街道を封鎖するなど、大騒動になっていく。
そして安政7(1860)年3月3日。雛(ひな)祭りのこの日は江戸にいる諸侯が登城する慣例で、その大名行列は見物客を集める行事だったという。江戸は季節外れの雪で、うっすらと積もるほど。本書では、三郎助の浦賀時代からの使用人であった鰐平(わにへい)が雪を見に出かけたところ事件を耳にし、冒頭のように急報する場面が出てくる。
桜田門へ差し掛かった井伊の行列を、見物人に紛れていた関(せき)鉄之介らが襲撃。ピストルも使われ、多くの刀を受けた井伊は最終的に斬首されたという。襲撃したのは主に水戸藩士で、前日に藩を脱して参加していた。
周到に準備されたテロは、ついに実行された。結果として時代が変わる直接的なトリガーとなったこの事件。ついに幕府が迷走する最後の7年半を迎えることになる。
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