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横須賀・三浦 コラム

公開日:2026.07.24

三郎助を追う 〜もうひとりのラストサムライ〜 第53回 文・写真 藤野浩章

  • 旧江戸城坂下門(東京都千代田区)

    旧江戸城坂下門(東京都千代田区)

  • 三郎助を追う 〜もうひとりのラストサムライ〜 (写真2)

「よい骨休めになったと思うのじゃな。そなたは、それだけのことをしてきた」

 勝海舟らの帰国と入れ替わるように、軍艦操練所を守ってきた三郎助は病に倒れる。

 彼には幼少時から喘息(ぜんそく)の持病があったというが、季節の変わり目などで発作を起こすことがあった。本書でもその場面はよく登場し、川崎大師名物の咳止め飴を口に含む場面もたくさん出てくる。

 しかし40歳を超えるあたりになると、咳だけでなく高熱とその後の微熱が何度も続き、体調は一進一退の状態に。やがて顔も「土気(つちけ)色」になってしまうほどにやつれ、講義も休みがちになる。そしてついに操練所の教授を辞職し、浦賀に戻って静養しながら、与力として奉行所に月1回の出仕をするという生活を余儀なくされたのだった。

 次男の英次郎(ふさじろう)と入れ替わって父・清司の役宅で身体を休めていた時にかけられたのが冒頭のセリフだ。清司は、決まって「だが、いつまでも楽ができるとは思うな。そのうち必ずお呼びがかかって、また忙しくなる」と息子を励ます場面も出てくる。

 一方、ちょうどその頃も幕府は嵐の中にあった。文久2(1862)年になると、老中・安藤信正が襲撃される坂下門外の変が起こる。孝明天皇の妹・和宮(かずのみや)と14代将軍家茂(いえもち)との婚儀は無事に行われたが、安藤が進めてきた公武合体策は風前の灯火だった。攘夷派による実力行使が激しさを増し、ついに朝廷が攘夷の実行を幕府に命じる事態になってしまう。

 そんな時、またもや"あの男"が浦賀で焦りを感じていた三郎助の元を訪ねてくる。

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