横須賀・三浦 社会
公開日:2026.08.21
戦禍に消えた動物園 公式記録にない悲劇
戦後81年を迎え、戦争体験者の高齢化により、当時の記憶を直接聞くことが限界を迎えつつある。そんな中、横須賀市の公式資料にも記されていない悲劇が、かつての様子を知る市民の証言により浮かび上がった。戦時下の日本各地で行われた「戦時猛獣処分」。空襲時の猛獣逃亡を防ぐという名目のもと、人間の都合で犠牲となった動物たちの悲しい歴史は、ここ横須賀の地でも繰り広げられていたという。
かつては松の木が一面に生い茂り、猿島や房総半島が望めた見晴らしの良い高台。そんな緑豊かな環境を求めて家族連れが訪れる諏訪公園(横須賀市緑が丘)には、大正時代に開設された市立動物園があった。
開園当初は小動物だけだったものの、海外で捕獲した多数の鳥獣が横須賀に帰港した軍艦から寄付されるようになり、動物園は子どもたちの憩いの場となった。
しかし、その歴史は長く続かなかった。市の歴史を網羅した『新横須賀市史』には、「市財政の悪化に伴い昭和7(1932)年には縮小・閉鎖され、熊や猿などもいなくなったようである」と記されている。
戦時下の楽園
ところが、「32年以降も動物園はあった」と証言する市民がいる。公園の脇にある諏訪大神社で生まれ育ち、現在は23代目の宮司を務める畑年(みのる)さん(89)だ。運営形態は不明だが、クマやキジ、ヤギなどが展示されており、敷地内の小屋に暮らす管理人の男性が世話をしていたという。
入園無料とあり、「娯楽の少ない時代、地域の子どもにとって格好の遊び場だった」という畑さん。中でも人気だったのは3頭のクマで、園で売られていた「クマ用せんべい」や、自宅から持ってきたスイカの皮をあげるのが楽しみだった。
太平洋戦争が始まってからも、園内には放し飼いのヤギがのんびりと草を食み、子どもたちの元気な声が響いていた園内。厳しい時代にありながら、動物とのふれあいが心の拠り所となっていたようだ。
響いた銃声
しかし、戦況の悪化につれて、のどかな楽園にも戦争が暗い影を落とし始める。43年、松林が伐採されて「はげ山」となった公園には高射砲の設置が始まった。兵舎も建ち並び、動物園に続く散策路に掲げられた「立ち入り禁止」の看板。美しい景観は軍事拠点へと荒らされていった。
空襲警報が頻繁に鳴り響くようになり、外で遊ぶ余裕もなくなっていた44年秋のこと。自宅にいた畑さんは、「ドーン、ドーン」という馴染みのない音を耳にした。後日、動物園の管理人に尋ねると、「クマが殺されたんだよ」と寂しそうに教えられたという。
「大・中・小、大きさの異なるクマ。小さいのは子熊だったかもしれない」。子どもたちの手から直接餌を食べていた人懐こいクマが殺されたことを知った時、畑さんの心に去来したのは、悲しみよりも「国の命令だから仕方ない」という思いだった。戦時下の緊迫した空気の中、「我慢すること」「あきらめること」が当然のように心に染み込んでいたという。
終戦後、空の檻がしばらく残されていたが、今では草が生い茂る跡地。85年に横須賀市動物愛護協会などにより建立された「動物愛護の碑」だけが、過去の悲劇を静かに伝えている。
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