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横須賀・三浦 コラム

公開日:2026.09.18

三郎助を追う 〜もうひとりのラストサムライ〜 第61回 文・写真 藤野浩章

  • 坂本龍馬(国立国会図書館「近代日本人の肖像」)

    坂本龍馬(国立国会図書館「近代日本人の肖像」)

  • 三郎助を追う 〜もうひとりのラストサムライ〜 (写真2)

 長州征伐など騒乱が続く中で、浦賀は軍港の寄港地として重要な役割を果たしていた。水や食糧の補給に加え、幕府の軍艦として輸入した蒸気船への石炭の供給も多かった。その産地は常磐(じょうばん)炭田など東北地方産が多かったというが、石炭置き場から伝馬船(てんません)で軍艦に運んでいたそうだ。

 そして何より、軍艦に乗り込んでいた要人が頻繁に浦賀を訪れていた。もちろん三郎助と旧交を温める者も多く、それぞれの立場から多くの情報がもたらされていたに違いない。

 慶応2(1866)年になると、各地で農民一揆や打ちこわしが頻発しているという情報が伝わってくる。米の凶作に

加え度重なる増税、そこに米の売り惜しみや商品の買い占めなどが起こり、ついに庶民の怒りが爆発したのである。しかも、比較的治安が安定していた幕府の直轄地(天領)でも起こっていた。

 浦賀奉行所は三浦半島の治安維持も担当しているため、三郎助は各地へ巡察を行ったが、「公然と世直しの必要を口にする者さえいて、三郎助は幕威の失墜がますます加速していることを肌で知った」ようだ。

 この年の初め、薩長同盟が成立。京都でこの密約を締結したのは西郷隆盛と桂小五郎、密約の裏書きをしたのが坂本龍馬とされる。長州は薩摩との協力でついに討幕へと舵を切ったのだ。

 それを知らない幕府は威信をかけて第二次長州征伐を決定。10万以上の兵を集めたが、最新兵器を備えた長州に苦戦する。そして7月、将軍家茂(いえもち)が21歳で急死するという知らせが舞い込む。

 一方、三郎助自身にも「終わり」の時が迫ってくる。

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