藤沢 文化
公開日:2026.03.13
藤嶺学園藤沢高
90年前の卒業アルバム、母校へ戻る
日系米国人の遺品から発見
かつて一人の若者が手にしていた卒業アルバムが90年の歳月と太平洋を越え、再び母校へ戻ってきた。持ち主は、1936年に藤嶺学園藤沢高校(西富)を卒業した故・江藤忠次さん。同校で10日、アルバムの寄贈式が開かれた。江藤さんの親族で日系4世のパティ・ヒラハラさん(70)、第二次世界大戦中に強制収容体験をもつノリオ・ウエマツさん(95)ら激動の昭和を生き抜いた日系米国人による特別講演があった。
米国・ハリウッド生まれの江藤さんは、若き日を藤沢の地で過ごした。同校の名簿には「アメリカ在住」と記されており、卒業してすぐに横浜から船でロサンゼルスへと帰国した。しかし1941年の真珠湾攻撃を機に、運命は暗転。全米で約12万人にもおよぶ日系人と共に、強制収容所へと送られた。長きにわたる戦争の幕が閉じ、収容所を後にした江藤さんは結婚はせず、1952年でこの世を去った。
パティさんの夫は江藤さんの甥にあたり、6年前に亡くなった。パティさんが身辺整理をすると夫の祖母宅から江藤さんのアルバムを発見。保存状態も良く、大切に保管されてきたことが分かり、「この記憶を何とか母校に戻したい」と来日を決意した。江藤さん在校時の林義善校長の孫にあたる現・林学校長にそれを手渡すと、「私の人生で忘れられない一日になった」と肩の荷を下ろしたかのように笑った。
パティさんの父と祖父、またノリオさん家族も江藤さんと同じ収容所にいた。ノリオさんは、武装した陸軍兵士の監視下で収容所に送られたこと、家族が心血を注いだ農場を安価で手放さざるを得なくなったこと、戦後は17歳で米陸軍に志願し、朝鮮戦争では日本や韓国へ送られたことなど凄絶な体験を明かした。「最後の来日になるかもしれない」。そんな覚悟で、生徒に平和の尊さを語りかけた。
奇跡的な再会を橋渡ししたのは、朝日新聞社の五十嵐大介記者だった。サンフランシスコ駐在中に日系人の歴史を取材するうちに2人と出会い、パティさんの熱意を受けて同校へとつないだ。
講演には高校1、2年生約350人が参加。熱心に聞き入っていた勝又柚輝さん(2年)は「今も戦争や差別は続いている。パティさんが言っていたように、互いを尊重し合うことが大切だとい気づかされた。これから話し合いの場では多数派だけでなく、少数派の意見にも耳を傾けていきたい」と感動を述べた。
先輩のアルバムを前に皆、戦争と平和の重みや時を超え結ばれた絆の尊さを静かに胸に刻んだ。
ピックアップ
意見広告・議会報告
藤沢 ローカルニュースの新着記事
コラム
求人特集
外部リンク
- LINE・メール版 タウンニュース読者限定
毎月計30名様に
Amazonギフトカード
プレゼント! -

あなたの街の話題のニュースや
お得な情報などを、LINEやメールで
無料でお届けします。
通知で見逃しも防げて便利です!











