プロバスケットボールチーム「横浜ビー・コルセアーズ」に所属する 青木勇人(たけと)さん 大町在住 38歳
好きな事にこそ真摯に
○…日本のバスケットボール活性化を目的に2005年に開幕した「日本プロバスケットボールリーグ」(通称「bjリーグ」)。11年に新規参入した、県内で唯一の球団「横浜ビー・コルセアーズ」のフォワードとして、また最年長選手としてチームを支えている。
○…小学3年まではサッカー少年でゴールキーパー。「攻めたかったからつまらなかった」。そんな時、体育館で皆がバスケットボールを楽しむ光景を見て、以来夢中に。藤沢市立第一中学校、鎌倉学園高校と競技を続けるも、全国的な強豪校ではなかった。「もっと上のレベルで」と自らを売り込み、専修大学から大和証券と、最高峰の環境に身を置いた。2000年3月、同社バスケット部が休部し、その後身として発足した新潟アルビレックスへ出向選手として参加。2年目には大和証券を退職し、プロとして競技を続けることを決断。「迷いや後悔はなかった」と振り返る。
〇…プロバスケットが職業として認識されていない現状を憂う。「様々な仕事がある中で、バスケを選んでいるんだよ、ということを認めてもらいたい」とし、「全力で、真摯にバスケと向き合うことが大事」と語る。
〇…東京、大分、沖縄、そして再び大分と渡り11年に横浜へ移籍。鎌倉には同年8月に移住した。妻とは08年に結婚。転居が重なっても行く先々で楽しむ強さを「誇りに思う」と感謝する。休日は鎌倉散策でリラックス。高校時代、鶴岡八幡宮など世界遺産候補の構成資産を練習で走ったことを振り返り、「今思えば贅沢だった」と笑う。大好物は釜揚げシラスだ。
〇…選手としてあと何年競技を続けられるかが今の課題であり、楽しみでもある。40歳が目下の目標だ。「どれだけベストを尽くせるか、維持だけでなく成長できるか」と日々、自己研磨する。バスケットとともに歩んできた人生。「これからも関わり、ゆくゆくは指導者になりたい」と語った。