鶴岡八幡宮の馬場を一気に駆け抜け、馬上から的を見事に射抜く―。鎌倉まつりや鶴岡八幡宮の例大祭など、鎌倉の行事に欠かせない神事の一つ「流鏑馬」。2014年は午年。人馬一体となった伝統の技は800年の時を越え、受け継がれている。
流鏑馬の起源は平安時代までさかのぼる。1187年には源頼朝が鶴岡八幡宮に奉納し、北条時宗の時代まで47回行われたとされる。しかし室町時代になると鎌倉での伝統は断絶。日本各地に散った流派は何度も伝統の危機に瀕しながら、現在の熊本県や長野県で受け継いできた。
鎌倉での伝統が復活したのは、明治に入ってから。鎌倉の地に戻ってきた流派は「小笠原流」と「武田流」の二派。現在は4月の鎌倉まつりは武田流が、9月の鶴岡八幡宮例大祭は小笠原流が奉納している。
神事では、馬場の3カ所に立てた的に矢を放っていく。的と的の距離は50mほど。全長約200mの馬場を約20秒で疾走しながら馬上から小さな的の中心を狙わなくてはならない。武田流射手の男性(29)は「手綱を放しての乗馬と不安定な騎乗での射は、熟練した技術と胆力が要求される」と話す。
鎌倉を拠点に活動する二派は、鶴岡八幡宮を始めとした各地の神事で流鏑馬を奉納するため、県内を中心とした練習場所での鍛錬に励んでいる。射手たちが流鏑馬を始めた背景は、弓道や馬術の経験者、歴史好きなど様々だ。奉納について先述の男性は「身が引き締まる思いがする。伝統を守り続けるため、練習を積み重ね、流鏑馬に取り組んでいきたい」としている。
長い歴史の中で何度も危機に瀕しながら、それを乗り越え受け継がれてきた「流鏑馬」。馬や武士の動員を必要とし、戦が起こると実施することが出来なかったため「平和な時代にのみ行われる神事」とも言われる。「いつまでも流鏑馬ができる時代が続いてほしい」。それは全ての射手の思いでもある。
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