パズル雑誌の発祥は茅ヶ崎だった―。今から40年前の1980年、茅ヶ崎に暮らしていた若者3人によって、日本で初めてのパズル専門誌『ニコリ』が生み出された。そのうちの1人で、後に世界的ブームとなった1〜9の1桁の数字でマスを埋めていくパズル『数独(SUDOKU)』の名付け親・鍜治真起さん(68・(株)ニコリ社長/本社・東京都)に話を聞いた。
札幌で生まれ、東京で育った鍜治さんが茅ヶ崎に引っ越してきたのは、慶應義塾大学に入学するころだった。中学・高校は硬式テニスにのめり込み、高校3年で出場した国体ではベスト8に。しかし、「体力負けしてしまった」と言うこの結果を、「人生最初の挫折だった」と振り返る。
テニスのない大学生活は退屈で、授業そっちのけでバイト三昧に。横浜の野毛で「割りの良い仕事にありつけた」という立ちん坊をしたり、薬品翻訳や溶接工などをしながら、趣味の麻雀・パチンコ・競馬に明け暮れる青春時代を過ごした。
不摂生がたたり体調を崩し、この時に看病してくれた女性と結婚。印刷会社へ就職も決めた。しかし、「遊び好き」が直るわけではなく、終業の数分後には社屋隣の雀荘で麻雀に興じていた。
一冊の雑誌が人生の転機に
「パズルの雑誌って日本にあるのかしら」。母親同士の仲が良く、偶然にも茅ヶ崎に引っ越してきた幼馴染の清水眞理さんが持ってきた、アメリカのパズル雑誌。どこの書店を回っても見つからなかった「日本にない」この一冊との出会いが、人生の転機になった。
「ないものなら、作れば売れると思った」と、眞理さんの姉・めい子さんにも声を掛け、クロスワードなど約15種類のパズルを創作し、手探りで完成させた創刊準備号。1980年、鍜治さんが29歳の時だった。雀荘通いを止め、終業後はリュックに雑誌を詰め込んで書店を回った。断られる日々が続くが、徐々に話題となり問い合わせがくるように。市内の長谷川書店でも扱われるようになり、同書店との付き合いは30余年になる。
今では全国の書店に並ぶニコリのパズル雑誌。ほかにも新聞や雑誌などに提供し、年間3千問にも及ぶパズル制作を手掛ける。鍜治さんは、「パズルは必需品ではないけれど、心の疲れを癒す、まさに頭の温泉。気楽に解いてほしい」とほほ笑んだ。ちなみに『ニコリ』とは、アイルランドの名馬が由来。
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