茅ヶ崎・寒川 文化
公開日:2025.08.08
横浜大空襲の惨禍を目撃
茅ヶ崎市東海岸南 箕輪一郎さん(92)
今年は終戦から80年の節目。タウンニュース茅ヶ崎・寒川編集室では地域に住む人たちの戦争体験や戦禍を語り継ぐ活動をシリーズで紹介する。今回は横浜大空襲を経験した箕輪一郎さん(92)=茅ヶ崎市東海岸南在住=に聞いた。
横浜市中区千代崎町で生まれ育った箕輪さん。実家は代々続く地域の名士で「大きな屋敷で女中さんがいたり、今思えば裕福な暮らしをしていた」という。
空襲があったのは1945年5月29日の朝。「ラジオから『かつてない規模の大空襲がある』という知らせが流れて、2歳上の姉と裏山に逃げ込んだ。雲が厚くて直接姿は見えなかったけれど、B29爆撃機の重苦しいエンジン音が腹にビンビンと響いてきた」
1時間ほどで空襲は収まったが、戻ると家は骨組みだけを残して焼け落ちていた。さらに翌日、街に出ると衝撃的な光景を目にすることに。
「1日経っても地面が熱かった。あちこちに真っ黒なものが散乱していて、それが焼け焦げた遺体だと分かった。なかには赤ん坊を背負ったまま亡くなっている若い母親も。大人たちが遺体を黙々とトラックの荷台に乗せている様子は一生忘れられない」
この空襲では横浜の中心部に43万個以上の焼夷弾が投下され数千人が犠牲に、30万人以上が罹災したと言われる。
戦後の苦しい日々
戦後は暮らしが一変し、日々の食糧にも事欠くようになった。「ひもじいということは本当に辛い。1日中『お腹が空いた』ということばかり考えているんだから。母が着物と引き換えに手に入れた食べ物を、警察に没収されたこともあった。戦争に駆り立てておきながら、苦しい時は助けてくれない。国家の酷薄さを思い知らされた」
大学卒業後は、保険会社に就職。「モーレツ社員」として高度成長期を駆け抜けてきた。茅ヶ崎に住まいを持ったのは50年ほど前。「気候も人も穏やか。いい場所に住めた」と笑顔を見せる。
時間を経ても戦禍の記憶が薄れることはなかった。戦後は横浜大空襲について新聞記事や資料を集め、自らの体験をたびたび新聞などに投稿してきた。5年前、戦後75年の年には、箱根への疎開体験を綴った投稿に対して東京都内の高校生4人が感想文を送ってきたこともあった。
「自分の体験だけで戦争を語るのはおこがましいという気持ちはずっとある。それでも直接体験した人が少なくなるなか、後世に伝える義務があると思う。少しでも戦争の実態を伝えることができたら」と話した。
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