平塚・大磯・二宮・中井 社会
公開日:2021.03.11
支援の広がりスポーツにも
宮城の野球少年を招待
市内高根に本社を置くレモンガス株式会社(赤津欣弥代表)は、東日本大震災が起きた2011年8月、当時同社が主催していた「レモンガス杯争奪 湘南カップ中学生軟式野球大会」に被災地となった宮城県石巻市と気仙沼市から2チームを招待した。
被災地少年に野球する場を
レモンガス(株)は2011年3月17日、平塚市と連携し、同市が災害時の相互援助に関する協定を締結している石巻市に入った。現地には社員4人がプロパンガスをトラック1台分、水12リットルのボトル500本を支援物資として届けた。
この時、震災で校庭が使えなくなり野球ができなくなった野球少年が多くいることを見聞きした社員の一人が、同社の赤津代表に直訴。「青少年の夢を応援します」をモットーとする野球大会にチームを招待することに決めた。宿泊費用などは同社が負担。宮城県から来た選手らは、同大会に出場した湘南アサヒベースボールクラブと金目中学校の選手宅などに前日からホームステイし、平塚市内のチームとの交流会なども行われたという。
同社の主催ではなくなったものの野球大会は今も続き、被災地のチームが参加している。
大きな球場今も思い出
宮城県気仙沼市内在住の伊藤匠哉さん(24)は、鹿折中学校3年生の時、同大会に招待チームとして出場した。
印象に残っているのは会場となったバッティングパレス相石スタジアムひらつかの大きさだ。「当時、地元にはまだ瓦礫などが残っていた時期でした。練習場所も限られていたので、こんなに立派な球場で野球をやらせてもらえることに驚いた。スピードガンがついていて、球速を測ってもらえたのもうれしかったです」と声を弾ませる。
平塚滞在の1泊は同大会に地元チームとして参加していた金目中学校野球部の選手宅にホームステイ。津波被害を記録した写真資料を持参し、火災被害もあった気仙沼の状況や、震災直後は親も迎えに来られず、友達同士で避難所となった中学校に留まったことなどを滞在先の家族に伝えた。「少しでも自分たちが経験した震災の、ありのままを知ってもらいたいという気持ちだったと思います」と振り返る。
伊藤さんは中学卒業後、地元の私立東陵高校に進学。2014年の春のセンバツにも出場し、一塁手として甲子園の土を踏んだ。現在は気仙沼消防署に勤務しながら、小中学生の女子ソフトボールチームの指導者を担うなど充実している。「僕の祖父は津波で流されたところを、水産加工会社の屋上にしがみついて、なんとか助けられた。助けてくれたのは、県外から駆けつけた消防隊かもしれないと聞きました。消防を志すきっかけです」。震災から10年。当時の野球少年は、地元の安心安全な暮らしを守るべく、日々訓練に励んでいる。
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