足柄 文化
公開日:2023.12.23
連載【1】
現代に伝わった人形芝居―班目人形芝居の歴史―
足柄高校歴史研究部3年秋山七海さん
県立足柄高校3年の秋山七海さんは11月25日、「全国高校生歴史フォーラム」で江戸時代から続く南足柄市の「班目人形芝居」の歴史をテーマに研究発表を行い、奈良県知事賞を獲得した。そこで今回から数回にわたりそのレポート全文(写真の一部含む)を連載する。
はじめに
私がこのテーマを研究しようと思ったきっかけは、祖母の家の仏壇から高祖父である石塚花之助に関する新聞のコピーが出てきたからだ。その新聞には、花之助が40年振りに班目(まだらめ)人形芝居を復活させたという記載があった。そして、花之助が復活させた班目人形芝居の歴史や班目人形芝居を受け継ぎ、現在も活動を続ける相模人形芝居足柄座について詳しく知りたいと思い、調べることにした。
そこで私は、班目人形芝居について聞き取り調査を実施した。まず神奈川県南足柄市班目地区に行き、人形芝居について、詳しい人がいないか聞き取りを行った。聞き取りの結果、現在班目人形芝居の伝統を受け継ぐ足柄座の座長を務める武藤瑞乃氏にお話を伺うことができた。武藤氏からは班目人形芝居に関する資料を貸してもらい、南足柄市郷土資料館で実際に足柄座の活動(人形芝居の実演)を見せてもらうこととなった。さらに、班目人形芝居と関わりがあったとされる神奈川県足柄上郡山北町の岸地区でも調査を行った。そして戦後班目人形芝居が衰退し、足柄座へと変化した流れを調べ、まとめることにした。
第1章は班目人形芝居の歴史、第2章は岸との繋がりについて、第3章は聞き取り調査の結果や足柄座の現在の活動についてそれぞれまとめた。
第1章 班目人形芝居の歴史
(1)江戸時代の班目人形芝居
班目人形芝居は、享保19年(1734)に阿波から来た夫婦が班目村に来たことによって広まったと言われている。夫婦は酒匂川の氾濫にあい、村人九左衛門の父に世話になったと伝えられている。その後、夫婦はお礼として人形芝居を班目村の村民に教えた。その際に人形の首(かしら)を15、6個残していった。しかし、現在その首の所在については不明となっている。人形芝居は、酒匂川の氾濫により偶然村に伝わったものであった。
また先行研究によれば、文化8年頃(1811)に班目村の市川万兵衛が人形芝居に熱心に取り組んだそうだ。班目人形芝居が始まったとされる享保19年(1734)から80年余りの間で、村人がどのような人形芝居を行ったのかは明らかになっていない。万兵衛は三人遣いの存在を知り、是非三人遣いの指導者が欲しいと考えたという。
班目人形芝居の古い衣裳の肩板に天保2年(1831)の銘が残されている。もしかしたらその時までには三人遣いの指導者が見つかり、班目では三人遣いの人形芝居が行われていたのかもしれない。しかし、証拠となるのは人形の肩板に残された銘だけで確証はない。その後、どのように班目人形芝居が活動を行っていたのかは史料上明らかにできない。
(2)明治時代の班目人形芝居
班目人形芝居の貢献者として、吉田東九郎という指導者の名前が伝えられている。吉田東九郎とは文楽の出身で、明治時代のはじめに八王子にいた人形遣いである。村民の再三にわたるお願いの結果、ついに明治11年(1878)に東九郎が村に来て人形芝居の指導をしたという。指導は厳しいものであったと伝えられ、明治39年(1906)に東九郎が村を去るまでの28年間続けられたということだ。人形芝居の衣裳の調査では、女形の衣裳の肩板に「明治三十五年 東九郎」と記載があり、明治35年(1904)頃に東九郎が班目人形芝居に深く関わっていたことが分かる。
連載【2】へ続く
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