都筑区 教育
公開日:2026.06.25
都田小学校が創立130周年 伝統を礎に、未来へ羽ばたく
横浜市立都田小学校(池辺町2831)は、明治、大正、昭和、平成、そして令和と、幾多の変遷を乗り越えながらも、常に地域とともに歩み続け、今年創立130周年を迎えた。本紙では同校の歴史を振り返るとともに、6月13日に行われた記念式典の様子などを紹介する。
都田小学校は1896(明治29)年、池辺と佐江戸の境に4月1日に開校した豊栄小学校の高等科を分離する形で6月26日、宗忠寺(池辺町2704)を仮校舎として開校した。当初の校名は高等都田小学校。
当時この地には、江戸時代後期から石川作庵が開いた「近思学舎」などの私塾や寺子屋が存在し、古くから教育に熱心な地域だった。
翌1897(明治30)年に、宗忠寺の裏に新築校舎が完成。しかし9月の台風で全壊したため、今度は福聚院(池辺町2296)に仮校舎を設けた。校舎は地域の人々の協力により、翌年の1月には再建された。
1907(明治40)年の小学校令改正(尋常科6年、高等科2年)を受けて翌1908(明治41)年、高等都田小学校と豊栄小学校が併合し、尋常高等豊栄小学校と改称される。しかし1909(明治42)年、学校の増築などの問題で地域がまとまらず再び高等都田小学校が分離した。
1913(大正2)年に尋常高等都田小学校が新設、1916(大正5)年には新校舎が完成した。また都田村の学校統一が図られ、本校に加えて川和に第一分教場が、折本に第二分教場が開校し、新しい体制が確立した。
校章に「川和の菊」
1923(大正12)年の関東大震災では、激しい横揺れの影響で校舎が大きく傾き、屋根や壁が損傷する被害を受けた。
この頃制定された校章は、当時全国的に有名であった「川和の菊」をモチーフにしてデザインされた。
1945(昭和20)年の横浜大空襲の際は、空襲警報が鳴るたびに校長が防空壕へ避難させるといった苦労もあった。1947(昭和22)年の新学制導入に伴い「横浜市立都田小学校」と改称。新たな民主主義教育の第一歩を踏み出した。
戦後、児童数の急増に伴い、1948(昭和23)年に川和小学校、1950(昭和25)年に折本小学校がそれぞれ独立を果たした。
現在も歌い継がれる校歌は1960(昭和35)年に制定された。作詞家の小林純一氏が学区内の田園風景や自然を視察して書き上げ、横浜市にゆかりのある中田喜直氏が作曲した。この校歌の発表会では、中田氏のピアノ伴奏と幸子夫人の独唱で披露された。
地域の発展は続き、1973(昭和48)年には木造校舎から鉄筋校舎への建て替えが完了した。
この時の校舎の建て替えの際、校庭の二宮金次郎(尊徳)像は池辺町の小泉湧次郎さんが保管していたという。像は2代目で、初代は1935(昭和10)年に設置されたが、太平洋戦争の資材として撤去された。「勤勉」の精神を子どもたちに教える象徴の金次郎像。かつては多くの小学校に設置されていたが、現在区内に設置されているのは都田小学校の他、中川小学校と荏田小学校の2校のみになっている。
第三京浜道路などの交通網整備に伴う人口流入で再び児童数が急増。プレハブ教室が建ち並ぶマンモス校に。1979(昭和54)年には児童数が1640人となり、新たに都田西小学校が分離独立し、今日の学区の礎が築かれた。
1996(平成8)年の創立100周年記念事業の際に込められた「はばたけ都田の子」という願いには、子どもたちに思いやりとやさしさを身につけ、世界へ、そして未来へと大きく羽ばたいてほしいという地域と学校の強い想いが込められている。
120周年の2016(平成28)には、卒業生の長谷川秀男さんが昔の小学校の様子を講演。ラグビー元日本代表の吉田義人さんも来場した。
130年という悠久の歴史と伝統は、これからも色褪せることなく、次世代を担う子どもたちの心の拠り所として受け継がれていくことだろう。
ピックアップ
意見広告・議会報告
都筑区 ローカルニュースの新着記事
コラム
外部リンク
- LINE・メール版 タウンニュース読者限定
毎月計30名様に
Amazonギフトカード
プレゼント! -

あなたの街の話題のニュースや
お得な情報などを、LINEやメールで
無料でお届けします。
通知で見逃しも防げて便利です!

















