戦後70年経った今年、戦争の悲惨さを語り継ぐため、区民の体験、区内の風景を通して、幸区に残る戦争の記憶をたどる。下平間在住の高橋芳雄さん(82)は戦争犠牲者の姿を記憶、「戦後も、影響は残っている」と語る。
終戦間際、宮前区の東泉寺に学童疎開していた高橋さんは、3月10日の東京大空襲の日、東の空が真っ赤に光り火花が雨のように降り注ぐ光景を目にした。「川崎の方は大丈夫だろうか?子どもながら涙を流し、空を眺めていた」と振り返る。
さらに、中等学校に入って半月程が経過した時には、川崎空襲が発生。市周辺部は爆撃を受け、市街地はプラットホームや市役所などしか残っていなく、海が見えたという。
住んでいた長屋も爆撃を受け、直前まで家事を手伝っていた高橋さんは「空襲前に『えらいわね』と声をかけてもらったお姉さんが死んでしまった」と声を落とす。市内の道路には遺体が放置され、雨が降ると遺体から煙が立ち上っていたという。
家を失った高橋さんは鹿島田に移り住む。たびたび空襲警報が鳴っては、鶴見操車場や多摩川付近(現在の総合科学高校)のあたりに爆弾が落ちていたという。
5月中旬、空襲が頻繁になると大田区方面の上空にB29の編隊が飛んできては、特攻隊が体当たりしていく姿が見えたという。「自己を犠牲にしても敵をやっつける姿は涙が止まらなかった」と話す。
8月には、広島や長崎が”新型爆弾”により壊滅したという情報が流された。そして、終戦を迎えた時、「えっ、負けたの?」という気持ちに。「日本人は生きていられないのでは」という恐怖に襲われたという。
「戦争で亡くなった人のおかげで、今の平和があると思う。その人たちのためにもつぐないをしていかなきゃいけない」と話す高橋さんは「再び戦争がおきるのが一番怖い」と話す。
最近は、戦時中習うことがなかった英語を学ぶため、英会話サークルに入り英語に親しんでいる。また、多文化共生にも興味を示し、「多くの外国人と交流を持ち、将来戦争のない平和国家づくりに貢献したい」と語った。
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