OGURIをあるく 〜小栗上野介をめぐる旅〜第49回 特別編文・写真 藤野浩章
今こそ知りたい! 小栗上野介のキホン
小栗上野介は、なぜ歴史から消されてしまったのだろうか----。連載第1部の終わりに、1人の幕臣と横須賀の関わりについて、あらためておさらいしておきたいと思う。お話をいただくのは、郷土史家の山本詔?一(しょういち)氏(横須賀開国史研究会会長)。横須賀を中心とした幕末研究の第一人者である同氏に、小栗の「仕事」そして「人となり」について聞いてみた。
※対談の完全版は動画でも視聴できます。左下のQRコードからアクセスしてください。
■消された史料
「浦賀の渡し」の東側乗り場に隣接するカフェ「エルマール」の眺めの良いテラスで、山本詔一氏と待ち合わせた。
山本先生は、父・大島昌宏が、小栗上野介を描いた『罪なくして斬らる』を執筆する際に何度も訪れていた。今から28年ほど前のことだ。当時父は家でよくその話をしていたが、筆者は学生時代に日本史を専攻していたにも関わらず幕末には関心が薄く、まるで覚えていない。
「当時、文献や史料を提供してたくさんお話しましたね。倉渕(くらぶち)村(現高崎市)の『はまゆう山荘』に2人で1週間くらい泊まり込んで調査したこともありましたよ」
小栗の研究は、実はあまり進んでいない。というのも彼の死後、新政府軍によって財産がかなり破却されたからだ。そうなると、本人以外が記録した史料をつぶさに当たるしかない。その面でもまさに"消された"わけで、それゆえに各地で埋蔵金伝説まで出てくる有様なのだ。
しかし横須賀は特別だ。かつての『横須賀製鉄所』は消されることはなかった。それどころか、ドックは今も稼働しているし、彼が考えたアイデアは現代社会の基盤として息づいている。これらをあらためて見つめ直すことで、小栗の困難な挑戦だけでなく、今にも及ぶ功績がより身近な存在になるはずだ。
■小栗の執念と奇跡
「製鉄所のイメージは、今とは全然違います。当時の日本では鉄で船を造るどころか、鉄の大きな板さえつくれなかった。小栗はアメリカで鉄の船が造られるのを実際に見て、その必要性を実感しました」
そのアメリカ行きは、小栗が34歳の時だった。「幕府ナンバー3の立場で渡米しました。他の2人は外国奉行経験者だったのですが、小栗は特に目立った役職が無く、『誰?』という感じでした。なのになぜ抜擢されたのか。正使の新見正興(まさおき)、副使の村垣範正(のりまさ)の2人は端正な顔立ち、いわゆる"イケメン"だったそうです。しかしアメリカ人との厳しい交渉に備えて押しの強い男も必要、ということで強面(こわもて)の小栗が選ばれたという説もあるのが面白いです」
こうして"ビジュアル選抜"でいきなりの外交デビューを果たした小栗。「鼻っ柱が強かったらしく、帰国後にさっそく外国奉行に抜擢されます。ちょうどロシア船が対馬に来る事件があり、じゃあ行って来い、と」
しかしこの対馬事件で、彼は大きな経験をする。「結局はイギリスの軍艦がロシアを追い払うのですが、ある種のパワーを持たないと外交が立ち行かなくなると実感します。外国から買ってきた船でなく、日本で自ら造る船がなければダメだ、となるわけです」。こうして小栗は、前代未聞の製鉄所づくりに執念を燃やしていくことになる。
「技術支援のパートナーはアメリカにお願いするのがベストでしたが、ちょうど南北戦争の前夜という情勢もあり、断られてしまいます。そこに、絹織物の元になる蚕(かいこ)が絶滅の危機にあり、日本の良質な絹を求めていたフランスが公使ロッシュを送り込みます。その通訳がカション。彼は箱館にいたことがあり、そこで栗本鋤雲(じょうん)と知り合っていました。横浜に移った栗本に相談を持ちかけたのが、盟友の小栗──この偶然もあって、フランスと交渉を重ねていくわけです」
そしてついに横須賀製鉄所の建設が正式に決定する。翌1865(慶応元)年に鍬(くわ)入れ式(起工式)が行われてから今年で160年。小栗が39歳の時だった。
■最先端の働き方を導入
建設が始まった横須賀製鉄所だが、そこでは現代に通じる労働システムがいくつも登場した。
「当時の日本では家業の都合で仕事の始まりと終わりを各自で決めていました。しかし工場となるとみんな一斉に始業しないといけない。そこで勤務時間が定められ、標準時を設定して、ペナルティー付きの"遅刻"という制度もできたんです」
製鉄所には三浦半島で多くの人が関わったが、現地に通うのもひと苦労だったという。「通勤圏は製鉄所を中心に約8キロ。北は追浜、南は久里浜、西は長井くらいまでですね。夏は6時半からの始業に合わせて、みんな1時間半前とかに家を出て、場所によっては山をいくつも越えて歩かないといけませんでした」
その一方で、ご褒美も手厚かった。「雨が降ってもちゃんと来てくれないと困りますから雨具を支給したり、よく働いたら米がもらえるボーナス制度があったり。月給に加えて昇給の制度ができたのもこの時です」。横須賀製鉄所の登場は労働面でもまったく新しい概念をもたらした。日本の産業革命の発端となった総合工場だったと言っても過言ではないだろう。
■日本の発展を予測
製鉄所づくりに奔走した小栗とは、いったいどんな男だったのだろうか。「小栗は旗本の中でも比較的石高(こくだか)が大きい、いわば高級官僚でした。だから"徳川=日本"であって、日本から徳川家が抜ける、などということは考えられなかった。そこが徳川
慶(よし)喜(のぶ)や勝海舟とは根本的に違うところだったと思います」
さらに山本氏はこう分析する。「頭はものすごく良かったと思いますが、"お前らには分からないけれど"という、ちょっと鼻にかけるところがあったかもしれません。子どもの頃から"天狗"というあだ名があったくらい。そんなところが、もう一つ彼の人気が無い部分かもしれませんね」
なるほど、小栗と一緒に働くのも案外大変だったかもしれない。「でも日本の将来を見抜いて、近代工業を発展させた功績は大きい。多少強引なやり方であっても、彼がいなかったら、日本は工業の発達が遅れて、農業国に近い形になっていたかもしれません」
■大河ドラマ化が決定
2027年のNHK大河ドラマが小栗を主人公にした「逆賊の幕臣」(主演・松坂桃李さん)に決まった。「今までとは違う視点が加わって"近代"そのものの見方が変わるきっかけを与えてくれるような気がします」。小栗がどんなキャラクターになるのか、そしてライバルの勝海舟がどう描かれるのか。「勝は子どもたちにも人気の庶民派ですから、ある意味で小栗と正反対のところがあります。そういうところもどう描かれるのか、楽しみです」
近代日本の加速装置とも言える横須賀製鉄所ができた三浦半島・横須賀。日本の歴史を変えたと言っても過言ではないこの場所に執念を燃やした幕臣、小栗上野介。その物語は、現代の私たちに大きな学びと、新しい希望を与えてくれるに違いない。
|
|
|
|
|
|