横須賀・三浦 コラム
公開日:2026.05.15
三郎助を追う ~もうひとりのラストサムライ~ 第43回 文・写真 藤野浩章
「浦賀でいえばこの辺は西浦賀、この山は愛宕(あたご)山というわけですかな」
◇
平常時の倍以上の期間を費やす難航となった昌平丸の長崎行き。そこには天候や同船の欠陥という原因もあったが、そもそも大型船の扱いに慣れていないという要因も大きかった。
しかしそれでも長崎に到達できたという航海は、指揮官はもちろんだが、風や潮を読み的確に船を動かした水主(かこ)(船員)の力が大きい。そのカギとなったのが、塩飽(しわく)諸島出身の人々だった。
塩飽諸島は、現在の香川県北部の瀬戸内海にある28の島々。古くから船の扱いに長(た)け「塩飽水軍」として信長、秀吉、家康の三傑にも重用されていた。そのため、鳳凰丸には指導的な役割で塩飽出身者が乗り込み、長崎海軍伝習所の伝習生にも選ばれていたのだ。加えて浦賀で漁師などをしていた者も鳳凰丸の水主として携わっていたことから、長崎に向かった。さらに、数名の船大工の姿もあった。
そもそも長く大型船の建造が禁止されていたこともあり、大きなサイズの船で長距離の航海をするのはほとんど初めてのこと。幕府は総力を挙げて長崎での伝習を急ぎ、これが後の海軍、そして横須賀製鉄所の基礎になっていくのだ。
こうして10月20日にようやく長崎に到着した一行は「オランダ人や黒人、唐人が忙(せわ)し気に往き来している」長崎の街を見て回る。そして丘の上から港を見下ろしたときに春山弁蔵が発したセリフが冒頭のものだ。
今まで浦賀の街しか知らなかった面々には相当に刺激的な日々だったろう。実際、さっそく過酷な日々が待っていた。
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