横須賀・三浦 コラム
公開日:2026.04.03
三郎助を追う ~もうひとりのラストサムライ~ 第38回 文・写真 藤野浩章
「華やかなことこの上ないが、見掛け倒しでなければよいがな」
◇
安政2(1855)年9月。長崎海軍伝習所に参加する江戸のメンバー約50名が浦賀へやって来た。乗ってきたのは昌平(しょうへい)丸。元は昇平丸といい、薩摩藩が建造した後に幕府に献上された船だ。三郎助が手がけた鳳凰丸に次ぐ国産洋式軍艦の第2号。約370トンと鳳凰丸より少し小さいが"三本檣(マスト)に九枚の横帆を備えていかにも船足が早そうに見える"という。
その昌平丸から颯爽と降りてきた人物が、鳳凰丸を見て放ったのが冒頭のセリフだ。
勝(かつ)麟太郎(りんたろう)--幕末に活躍した「三舟(さんしゅう)」の1人に数えられ、江戸無血開城を成し遂げた。さらに明治政府でも初代海軍卿(きょう)を務めたことでも知られる。しかも後に小栗上野介の最大のライバルとなる重要人物だ。大河ドラマの予習としても、注目していきたい。
勝の出自はなかなか複雑だ。家はもともと武家ではなく、曾祖父が金融業で巨万の富を得たことから御家人の株を買ったのだという。その前後については大島昌宏が小栗上野介を描いた『罪なくして斬らる』にはこうある。「越後から出て来た彼の曾祖父が旗本男谷(おだに)家の株を買って息子に与え、その息子が更に御家人勝家の株を買って自分の三男に継がせたのである。勝はその長男にあたり、幕臣となってまだ三代に過ぎない」
勝は後の福沢諭吉との論争にあるように、その評価が真っ二つに分かれる人物だが、大島はその理由の一つはこの出自にあるとしている。本書では、ある"対決"を通じて勝と三郎助を対照的に描くことになる。
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