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三浦版 公開:2024年3月15日 エリアトップへ

記者の目キラリ 地名の由来って? 〜三崎エリアの巻〜

文化

公開:2024年3月15日

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潮風が吹く「海外」のバス停看板前
潮風が吹く「海外」のバス停看板前

 三浦市を担当して2年が経とうとしているが、ずっと気になっていたことがある。他の自治体にはないであろう変わった地名。取材先で由来を尋ねるものの、納得のいく回答を得られることは稀だ。地域新聞の記者という立場上、ある程度は知っておかなければならない。歴史に詳しい地元の人々からの証言と数冊の文献を照らし合わせ、まず調査した三崎エリアの一部を紹介したい。

◇  ◇  ◇

 その前に「三浦」という地名は、どこからきているのか。1955(昭和30)年1月1日に三崎町・南下浦町・初声村のが合併して誕生した三浦市。奈良時代の歴史書『日本書紀』の中では「御浦(みうら)」と表記され、1300年以上前から地名が存在していたことが分かる。また三浦半島の先端に位置し、東・西・南の三方が海に面しているため、そう呼ぶようになったという説もある。

 そして「三崎」。平安時代の郷名に「御崎郷(みさきのごう)」とあり、中期に作られた辞書『和名抄』では相模国御浦群五郷の一つとされた。御崎は「美佐木」とも書かれた。「向ヶ崎町」は、北条湾を挟んで三崎の対岸の出崎にあることに由来している。

 市役所のある「城山町」は読んで字のごとく、かつて北条湾の西岸の台地上に三崎城があったことから、その名がつけられた。なお、北条湾は、北条氏にちなむ唯一の地名でもある。

 記者が初めて訪れた際に「かいがい」と言って笑われ、ペンを握る手にじっとりと汗が噴き出た「海外(かいと)町」は、1964(昭和39)年にできた地名。これは「海戸」「海門」という意味らしい。

 「宮川町」は、伊勢神宮の外宮付近からの移住者によって集落が形成されたと伝えられており、その外宮近くを流れる宮川と呼ばれる川が地名にちなんでいるそう。三崎には「宮川さん」という名前の人も多いような。

 「六合(むつあい)」は1875(明治8)年に6村が合併したことに由来し、「諸磯」は海岸線に多くの(諸々(もろもろ)の)磯があるから。「小網代」は古くは網代(あじろ)(網を入れる場所のことで漁場という意味)と呼ばれていたそうで、伊豆にある地名の網代とと区別するため、小をつけたと言われている。

 「城ヶ島」は、戦国時代に安房国(あわのくに)の里見氏が城を築いたという説、もう一つ昔の官職「尉(じょう)」がいる島、「尉が島」となったという説があった。

 知れば知るほど、まちが愛おしく思えた。

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