藤沢 文化
公開日:2026.03.06
わたしと市民会館
人生の節目に元気くれた
藤沢の歩み見守る鈴木市長
「あの辺りは『奥田』と呼ばれていてね、一段低いところに田んぼが広がる私の遊び場だった」――。
鈴木恒夫藤沢市長(76)は、市民会館が建つ前の風景を反芻(はんすう)する。片瀬中学校の跡地を埋め立て、1968年10月に誕生した白亜の殿堂。「とんでもなくすごいものができた」。まだ青年だった鈴木市長の目には鮮烈に映った。ここは後に自身の人生における最大の晴れ舞台となることに。
初めて足を踏み入れたのは成人式。その後は図書館にもよく通った。20代半ばには結婚披露宴も挙げた。仲人を務めたのは、参議院議員の故・河野謙三氏。「ちょうど議長になられたばかりで、車はパトカーに先導されて乗り入れた」。時代を象徴する異例の光景は市民らの注目を集めた。「当時は結婚式場として人気があった。そういえば帰りに仲人とそろいの植木を買って帰った」というエピソードはホールとしての用途だけでなく、市が立ち、生活と祝祭が同居する場でもあったことを物語る。
市議になってからも、生活文化ゾーンという位置づけで広場やデッキ、エスカレーターを整備するなどハード面から施設の変遷に深く携わってきた。ソフト面では、当時の葉山峻市長の肝入りでスタートした「藤沢市民オペラ」の誕生が誇りだ。藤沢のシンボルで、市民が主役になれる拠点の役割を強調。「文化の結晶だ」。そう熱く語る姿には、自らの成長とともに会館の歴史を重ねてきた自負がにじむ。
建て替えの背景には、バリアフリー化や耐震基準といった社会的な要請があった。「土地へのこだわりは強かった。他所に移さずに再出発することに意味がある」。思い出が詰まった特別な場を壊すような寂しさもあったが、同時に潮風を感じながら自由に歩く人々が頭に浮かんだ。新会館には境川や新林公園と調和した「ウォーカブルなまち」の核を担うことを目指す。
一人の青年として人生の門出を祝い、市長として会館の幕引きを見守る。藤沢の香りを残して次世代に紡ぐ、新たな文化の芽吹きの瞬間を心待ちにしながら。
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