玉縄城が築城されて、今年で500年を迎える。それを記念し、今年11月に地域ぐるみの一大イベントを開催しようと、住民らによる「玉縄城築城500年祭実行委員会(田中八郎委員長)」が2009年11月に発足。先月4日に第1回総会が開催された。先月10日には、七曲坂(市内植木)の整備完了をうけて、上り初めが行われた。
総会では、2009年11月の委員会発会式以降の活動内容や500年祭の計画概要案などが報告された。
事業計画の概要としては、主たる事業として「玉縄城歴代城主と玉縄衆の慰霊法要」「記念式典とコンサート」「玉縄城を偲ぶコース」「子ども神輿、稚児行列、武者行列とお祭り広場」などを挙げた。
事業の一つ「玉縄城を偲ぶコース」の舞台である七曲坂は、玉縄城大手門への登城路の一つだったとされている。しかし、近年はカミヤツデなどが生い茂り、一部の地域住民にしか利用されていなかった。昨年8月頃から「玉縄城址まちづくり会議(荒井章会長)」の事業として整備が進められ、先月完成し、披露の運びとなった。
10月から11月の間、坂の下に冠木門、コースにのぼり旗を施し、坂途中の広場には陣営を演出した柵などを配置。週末には、複数回のウォーク・ラリーを開催し、往時の玉縄城を偲ぶ内容だ。
田中委員長は、同祭実施の趣意書で「地域が一体となって、玉縄地域の歴史と遺産を次代を担う若者たちにしっかりと引き継ぐ『祭』の実施を目指す」と述べている。500年祭は、市でも「共催事業」として支援協力を表明している。
玉縄城は、1512年10月、伊勢宗瑞(北条早雲)によって築城されたとされ、6代の城主と「玉縄衆」と呼ばれる住民によって支えられた。三浦半島の抑えの要衝で、堅城として知られたが、豊臣秀吉・徳川家康連合軍の攻撃で、1590年4月、当時の城主・北条氏勝が無血開城した。現在、城は残っていないが、ゆかりの「城廻」「玉縄」「植木」などの地名や石碑などを数多く見ることができる。
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