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秦野版 公開:2015年8月15日 エリアトップへ

特別企画 戦後70年記憶をつづる

社会

公開:2015年8月15日

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 1941年12月8日未明(アメリカ時間で7日)、日本海軍が行ったハワイ真珠湾攻撃によって太平洋戦争へと突入。秦野市域からも多くの人が出征した が、敗戦直後の1945年8月20日頃、証拠隠滅のため当時の秦野警察署の指示で兵役に関する資料の焼却処分がされたため、正確な人数は分かっていない。 戦後に作成された戦没者名簿によると、太平洋戦争による戦死者・戦病死者・戦傷死者は1003人とされている。〈写真提供/秦野市ほか〉

 

戦争体験記〜寄せられた手記から
戦争の惨めさ


 私は、東京都荏原区二葉町(今の大田区)に生まれました。東京の空襲被害が大きくなると、国の決まりで小学6年生は安全な地方へ疎開しなくてはならず、私の学友の多くは富山県へ集団疎開をしました。私は昭和19年9月1日に父の知人を頼り、1人縁故疎開として秦野へ移り、秦野本町国民学校に転校したのです。生まれて初めての家族との別居生活、何と淋しく心細かったこと。その上食糧は朝から晩までサツマイモばかり。夜になると布団をかぶり泣いておりました。母恋しさにひそかに1人東京に帰ったことも何度かありました。ある土曜日の晩、ようやく東京にたどり着くと空襲のサイレンが鳴り渡り、間もなく「ドカーン」「ズシーン」とこの世の終わりかと思うような激しい爆撃にあいました。この時父は国防軍人として夜の町に出動していたため、母と私と妹2人は畳を上げて床下の防空壕に入りました。その壕には4人分の袋が用意されており、100円とお米、塩、医薬品がそれぞれに入っていました。それとは別に、母と私が背負う家の大切な物が入った大きなリュックがありました。地上では相変わらず「ダーン」「ヒュー」と不気味な音が続いていました。この壕の中で母は「もし爆弾が落ちて、家が焼けたらまず身体を守る様にしなさい」と言い、8歳の妹の面倒は私が見るように、逃げる場合は何回も名前を呼び合って、途中で離ればなれになってしまったら火災が静まった時この家の所に来るように、などと細かい注意を与えられました。「もし怪我をして苦しかったら南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経と静かに言いながら眠りなさい」とも母は言いました。今考えれば、ひそかに死の覚悟も教えていたのでした。この時、幸いに私の家は戦火を免れました。しかし、私の家族が昭和20年3月5日に秦野に疎開してきた数日後、私の家の町内は空襲で全滅し、ある人は焼死、ある人は爆風でたたきつけられ、防空壕の中でも亡くなった人が多かったとか。それが戦争の本当の姿なのでしょう。戦争の話が出るたびに私は二度と悲惨な戦争はあってはならないと心に誓っています。

■寺山 女性(83)

あの日は、暑かった

 子どもながらに恐ろしかった、あの大東亜戦争を今でも思い出す。毎日「B29」が私たちの上を、音を立て何機も何機も日夜飛んで来る。忘れもしない8月15日。「今日は静かだな」と思った。夕方、仕事から帰って来た父が私たち子どもの前で何も言わずに泣き出した。「父さん、どうしたの?」と聞くと、怒るように「戦争に負けた。今日、天皇様がラジオで放送された。もうだめだ。これから日本はどうなるか」と言ってまた泣いた。その時の私は9才11カ月、父が泣く理由が解らなかったが、子どもながらに思った。「じゃあもう爆弾は落ちない。防空壕に入らなくていい。学校にも行ける。ああ良かった」と言うと父はいきなり怒鳴った。父が恐かったが、私は内心安心した。その時ふと、兵隊に行った叔父のことを思った。戦地に行き、精神病で帰国し家で死んだ。毎年この季節になると私は思い出す。国と国、人と人との争いがなければ叔父は元気だっただろうに。平和だったら、いつも楽しく元気に「おはよう」と言って笑い、私たち兄弟を可愛がってくれた人だった。今でも思う。人と人との争いをするなんてばかげている。何一つ良い事なんてない。「二度とこのような悲しみを、子どもたちには体験して欲しくないと思う」。

■今泉台 横溝礼子(80)

半鐘たたき英霊葬儀参列

 昭和20年4月私は西小学校6年に進級。同時に日本青少年団渋沢分団長に拝命、任務に警報を知らせる半鐘叩きもあった。警戒、空襲警報が発令されると半鐘に駆け昇り思いきり打ち鳴らしていた。成人男性は皆出征し、老人と女性が残った村では小学生が半鐘叩きをしていた。村一番の秀才だったH家の長男は小田急に就職されたが、徴兵検査を待たず徴用にとられ従軍。気の毒に戦死(当時は名誉の戦死といった)され自宅でお葬式があった。青少年団長の私は団員30人余りを従えて葬儀参列団員の先頭で団旗に黒布をかかげて立ち、大声で英霊に対し敬礼、団旗を傾けて祈った。団員は小学生ながら戦斗帽、巻脚絆(まききゃはん)の男子は挙手の敬礼、女子はモンペ防空頭巾姿で最敬礼。おとぎばなしでない実話である。

■渋沢 伊東久(81)

つらく、激しい毎日

 昭和16年、私が生まれて間もない頃、戦争が激しくなってきたとのことで、父親が樺太で警察官をしていましたので、職業柄ソ連軍に捕まって殺されるかもしれないと一家で茨城に引きあげました。物心ついた頃、布団をかぶって山中を逃げ、戦闘機が通り過ぎるのを眺めていました。その後、暫らくしてからもう逃げなくてもいいと終戦を知らされました。戦後は食糧難でつらく激しい毎日でした。気がついたら兄弟が10人になっていました。お手玉の数え唄を思い出しました。意味の分からないところもあります。「【1】いちれつらんぱんはれつして【2】日露戦争はじまった【3】さっさと逃げるはロシアの兵【4】死んでもつくすは我が日本【5】5万の兵を引きつれて【6】6人残して皆殺し【7】7月8日の戦いは【8】ハルピンまでもせめいれて【9】くろばたけんの首をとり【10】とうごう大将ばんばんざい ちゅうぎのはても ばんばんざい」。

■平沢 林美和子(74)

忘れ得ぬ日の出来事

 今日も分団毎に林へ向かう。分団員は小学1年生からの18人。私の学友は大倉の農場にいた。出発して間もなく警戒警報が鳴り私は引き返し、西支所の林へと避難した。報道の様子を支所で聞くと「急いで帰れば間に合う」とのことだった。その言葉を頼りに18人は頭巾を押さえ、一生懸命走り武運長久の門(現在の246号線の陸橋)まで来た。西中側は苗木畑、他は麦の穂が揺れているばかり。その時空襲警報のサイレンが鳴り響く。同時に、忘れもしない爆音が耳に飛び込んできた。何一つない原っぱで、しかも私は18人の命を預かっている。一瞬の出来事に身も心も震えた私は、とっさに「伏せ!」と力の限り叫んでいた。全員が土手にピタッと目と耳を塞ぎへばりついた。私は幼い子に被さり、近づく爆音を感じていた。わずかに顔を動かし上目づかいに見たものは、艦載機3機編成の9機が、私たちの方へと降下し迫ってくるところだった。「バリバリバリバリ!もうダメ死ぬ!神様…」。目を閉じ息をのんだ。泣き叫ぶ子はいなかった。低空からの掃射が終わったのか爆音が遠くなっていく。一瞬の出来事だった。私は顔を上げ18人の頭を数えた。大丈夫だった。神様に感謝した。みんなが早く伏せてくれたから助かったのだろう。その後、地に足がつかない位一目散に走り18人を帰し終えた私は、帰宅後しばらく足の震えが止まらなかった。あの日の事は二度とあってはならぬ、忘れようとしても忘れられない。70年経った今も、つい昨日の事のように思えてならない。

■曲松 熊坂和枝(84)
 

出征兵士を見送る女子学生たち(1935年頃)
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曾屋神社にて戦勝祈願(1942年)
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