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南区 コラム

公開日:2016.11.10

〈連載〉さすらいヨコハマ㉒
原節子の悲劇
大衆文化評論家 指田 文夫

 昨年12月に女優の原節子が亡くなられてもう1年になる。まことに時の経つのは早い。年をとると、家族をはじめ、自分以外のことに費やす時間が多くなり、その反動で自分の時間が少なくなるので、結果として時の経つのが早く感じられるのだと思う。



 さて、なぜ原節子が41歳と若くして映画界から引退したのだろうか。謎を解くカギは、彼女の実兄・会田吉男の事故死にあった。



 1953年7月、義兄・熊谷久虎の監督で『白魚』が作られた。御殿場駅での撮影中、疾走してきたSLに跳ね飛ばされてカメラマン・会田吉男は死んでしまう。これは線路上に45度の角度で鏡を置き、線路外から撮影すれば容易に防げた事故だった。翌月、原節子は小津安二郎の『東京物語』のカメラの前に立った。その後、亡兄の家族を援助するため、彼女は映画に出て、それも終わった1962年に引退したようである。



(文中敬称略)

 

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