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鶴見区 コラム

公開日:2017.04.06

―区制90周年記念―【連載【4】】
鶴見90年のあゆみ
「昭和12年〜21年」

  • 昭和25年ごろの響橋

【響橋が完成】



 日中戦争、第二次世界大戦と、まさに戦時中だった時代。この頃、京浜工業地帯の発展で国道15号線の交通量が激増。新たな交通網となる国道1号線(第二京浜国道)の建設が決まり、分断される水道道の陸橋として計画された。



 架設にあたっては、昭和15年に東京開催が決定していた五輪のマラソンコース折り返し地点になっていたことから、国もその存在を重要視。早稲田大学教授で著名な建築家だった今井兼次氏に設計を依頼し、細部の意匠にもこだわっていた。



 のちに日中戦争の拡大により、東京五輪は返上されたが、鋼材の支給制限や工事関係者の戦地召集という苦難を乗り越え、昭和16年3月に竣工した。



◇  ◇  ◇



 強度とデザイン性を兼ね備えた橋は、長さ48mの鉄筋コンクリート造。コンクリートアーチ橋としては市内最大級を誇る。平成11年に「かながわの橋100選」、13年に「横浜市認定歴史的建造物指定」、28年には「土木学会選奨土木遺産」に選出されている。



 当初「寺尾橋」と呼ばれていた橋も、現在は「めがね橋」の愛称で親しまれ、地元にはその名を冠したイベントやお菓子、店舗があるなど、広く愛されている。

 

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