戻る

鎌倉 文化

公開日:2026.08.14

松竹大船の黄金期を支えたカメラマン 親子で紡ぐ厚田雄春氏の美意識

  • 小津監督(左)と厚田さん=鎌倉菅野写真館所蔵

    小津監督(左)と厚田さん=鎌倉菅野写真館所蔵

  • 左/25年ほど前まで使用していたアンソニーカメラを挟んで、公子さん(左)と松太郎さん、右/店内の一角には厚田さんのコーナーも=7月31日、鎌倉菅野写真館にて

    左/25年ほど前まで使用していたアンソニーカメラを挟んで、公子さん(左)と松太郎さん、右/店内の一角には厚田さんのコーナーも=7月31日、鎌倉菅野写真館にて

  • 公子さんお気に入りの一枚(写真:厚田雄春)

    公子さんお気に入りの一枚(写真:厚田雄春)

 かつて「松竹大船撮影所」を擁し、映画の街として日本の文化史を彩った鎌倉。その大船で数々の名作を生み出し、世界中の映画人に影響を与えたのが小津安二郎監督。そして、小津映画の代名詞である低位置からの「ローアングル撮影」を支え続けたのが、カメラマンの厚田雄春氏だ。

 戦後、「映画の黄金期」を築き上げた厚田さんの足跡を振り返るべく、終戦の日に合わせ、厚田さんの三女で元カメラマンの菅野公子さん(84・鎌倉市在住)、そして公子さんの長男で、同じくカメラマンの松太郎さん(54・東京都在住)に、厚田さんの素顔と時代を超えて受け継がれる映像の美意識について話を聞いた。

娘から見た素顔

 「家庭での父はとても不器用で、家族の中では三枚目のような愛すべき存在でした」と公子さんは振り返る。

 公子さんが中学3年の頃、厚田さんにカメラを持たされ、丸の内や築地などへ撮影に連れていかれたのが、自身が写真の道に進む原点となった。家族旅行でも、父としての厚田さんのこだわりは容赦がなかった。「光線が悪いと『ちょっと待って』と指示が出る。モデルを務める母や私たちは大変でしたが、父にとってはスナップ写真も『スチール撮影』そのものでした」と苦笑する。

 小津作品計15本に携わり、撮影現場に入ると家庭内にも独特の緊張感が走ったという。「父は『自分はカメラマンではなく、小津組のキャメラ番なんだ』とよく言っていました。暗がりを生かすローキーのライティングが得意でしたが、小津監督や会社が求める『明るくフラットで美しい画面』のために、自分の好みを抑えて監督の意図に徹した。その不器用なまでの誠実さを小津先生が引き出してくれたのだと思います」と公子さん。

祖父から教わった「目のアンテナ」

 写真の勉強をするため、公子さんと同じ東京工芸大学に進んだ松太郎さんは、祖父から受けた指導を今でも鮮明に覚えている。

 「目のアンテナを張りなさい」という言葉。「例えば、喫茶店で女性がコーヒーを飲む時、どこから撮れば一番綺麗に見えるか、どんな手の添え方をしているか、常に洞察しなさいと。そして『写真の中に自分の個性を映し出しなさい』」と教えられた。「今でも街を歩くと、光の当たり方などが気になります。祖父から教わった『目のアンテナ』は、今も私の中で生き続けています」と松太郎さん。

 厚田さんのカメラが捉えた美しい構図と職人魂は、遺された記録とともに、娘、そして孫の眼差しを通して今も確かな光を放ち続けている。

鎌倉 人気記事ランキング

  • 前日
  • 1週間
  • 1か月

鎌倉 人気記事ランキング

  • 前日
  • 1週間
  • 1か月

ピックアップ

すべて見る

意見広告・議会報告

すべて見る

鎌倉 ローカルニュースの新着記事

鎌倉 ローカルニュースの記事を検索

コラム

コラム一覧

  • LINE
  • X
  • Facebook
  • youtube
  • RSS