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公開日:2026.04.24

川崎・那覇友好30年 映画監督語る功労者2人 古江亮仁氏と古波津英興氏

  • 展示パネルを示す喜屋武監督(右)ら

    展示パネルを示す喜屋武監督(右)ら

 川崎市が那覇市と友好都市協定を締結してまもなく30年を迎える。東海道かわさき宿交流館(川崎区)では節目を前に、両市の交流の歩みを振り返る記念企画展が開催されている。映画「川崎・那覇・沖縄 百年の絆」を製作中で、同展に協力した映画監督・喜屋武靖(きゃんやすし)さん(62)は、戦前から紡がれてきた文化・民間交流が友好都市締結の礎となったとし、2人の功労者の名前を挙げた。

 そのうちの一人が古江亮仁(りょうにん)氏(1915〜2001)。川崎区大師本町の明長寺出身で大学教授を経て、川崎市教育委員会の文化財保護と文化団体育成支援の担当として嘱託を受け、市立日本民家園の初代園長などを務めた。喜屋武監督は古江氏の功労の一つとして、沖縄芸能を市と県の無形文化財へと導いたことを挙げる。「沖縄の芸能の中に日本文化の源流のようなものを見い出し、文化財として保護する。それをいち早く川崎市がやることに意味があると古江氏はアピールした」

 59年には、「首里城がない沖縄の人の心の支えになるものを」との思いから、川崎区生まれの詩人で沖縄に縁の深かった佐藤惣之助の詩碑を首里城跡の琉球大学構内に建立する事業のけん引役ともなった。

甚大被害への支援と「石敢當」

 もう一人が、古江氏を裏方で支えた沖縄県人会の事務局長などを務めた古波津英興(こはつえいこう)氏(1907〜99)だ。

 古波津氏は60年の宮古島を襲った台風災害の際、救援運動を川崎市全体に広げる先導役として奔走。募金総額は358万円(当時のレートで1万ドル)にのぼり、宮古島からはその返礼として魔除けの石敢當(いしがんとう)が贈られた。石敢當は川崎駅前に設置され、昨年、建立55周年の記念式典が行われた。「台風被害救済運動は全国で行われていたが、川崎が全国の自治体の中でも突出していた。だからこそ、川崎にだけ大きな返礼品を贈ったのだと思う」と喜屋武監督は推察。「沖縄の人たちを助けようと即断即決した川崎市議会もすごかった」とも語った。

芸能が支えた郷土への思い

 大正時代、紡績工場に多くの沖縄の人たちが就職したのを機に、多くの沖縄出身者やルーツを持つ人たちが暮らす川崎市。沖縄出身者の心の支えとなったのが三線や琉球舞踊だった。終戦直後には那覇出身の三線の名奏者・池宮喜輝(いけみやきき)氏と舞踊の名優・渡嘉敷良(とかしきしゅりょう)氏が迎えられ、49年には「川崎沖縄芸能研究会」が発足した。また、川崎市が誕生した24年に設立された川崎沖縄県人会の初代会長が那覇市の出身だったという。

 川崎市によると、1996年5月20日に川崎市長、川崎市議会議長や友好都市締結を要請した9団体代表などでつくる川崎市代表団が那覇市を訪れ、友好都市を締結。喜屋武監督は「川崎と那覇のつながりは30年を超え、100年に及ぶ。そのスタートは那覇だったともいえる」と語る。

 企画展「琉球使節・江戸上りと川崎沖縄交流の軌跡〜江戸上りから石敢當文化財認定まで〜」は6月21日(日)まで、東海道かわさき宿交流館3階企画展示室で開催中。午前9時から午後5時。月曜日休館(祝日の場合は翌平日)。入場無料。

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