町田 社会
公開日:2026.08.13
戦争体験 小野路に落とされた焼夷弾 新倉孝之さん(小野路在住)
東京大空襲に比べて規模は小さいが、町田市にも戦争中、空襲があった。新倉孝之さん(91)は1945年5月25日深夜に、今も暮らす小野路で体験した空襲を振り返る。当時数え年で10歳、国民学校4年生だった。
当時、町田上空はマリアナ諸島やグアムから東京へ向かうB29の通り道だった。その夜、新倉さんは高射砲のサーチライトに照らされた飛行機を珍しさから縁側で見ていた。「空中でピカピカと光るものが見えた。まさか焼夷弾だとは思わなかった」と振り返る。
高度3千〜4千メートルから投下された焼夷弾は空中でバラバラになり、火薬を含んだ布が周囲に飛び散った。自宅から200メートルほど先で火の手が上がると、消防団で不在だった父を除き、祖父母や母、弟妹ら家族で、燃えるものがない田んぼへと避難した。「道の両側が燃えているのでいつもの道は通れず、山を通って逃げた」。家が焼ける匂いが強く漂う中、山中の竹藪も炎に包まれ、竹が倒れるバチバチという音が響いていたという。普段5分の道のりは30分かかった。最終的に萬松寺を含む10軒ほどが焼失したが、幸い人的被害はゼロだった。
そして迎えた終戦。沖縄に出征していた叔父は戦死していた。戦争が終わり最もうれしかったのは「夜ゆっくり寝られること」という。戦時はいつでも逃げられるよう、服を枕元に置いて眠っていた。
新倉さんは「今も世界のどこかで戦争が起きている。あれだけ苦労をしたのに繰り返してしまう」と語っている。
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