町田 社会
公開日:2026.08.13
戦争体験 原爆直後の広島で見た地獄 橋本通曉さん(鶴川在住)
1945年8月6日、橋本通曉さん(95)は県立広島第一中学校2年生の14歳。学徒動員により広島市中心部から15キロ離れた軍需工場で働いていた際、被爆した。
その日、工場の庭で朝礼中に強い光が「ピーン」と走り、少し間を置いて「ドーン」という轟音が来た。「爆弾が落ちたら目と耳を押さえて伏せると教えられていたので、とっさに全員が伏せた」。工場のスレート屋根やガラスが飛び散ったが、大けがはなかった。しばらくして空にきのこ雲が立ち上り、黒煙の中に赤い炎がちらついた。
午後になると、けがした人が次々と工場にやってきた。「反応が鈍い人には手の施しようがないと、診療所の先生に言われた。小さな子どもを抱えきれず、手や足を握って引きずってくる母親もいた」と橋本さん。
翌日、68キロ離れた実家へ向け歩き出した。福島川の鉄橋では川上から川下まで裸の人々が折り重なり、死体で埋め尽くされていた。天満橋付近の河原にも死体の山があり、爆心地に近い一帯は焼け野原に。横川駅付近では大火傷を負い動けない人が「水をくれ」と呻き、防火用水を口に含ませるとそのまま息絶えた人もいた。一晩中歩き続け、翌朝自転車で迎えに来た父と再会した。「運命の再会だった」。
語り継ぐ使命
妻の介護を19年間続けた後、自らの体験を語り継ぐことを使命とし、現在は平和祈念イベントや学校で証言を続ける。「戦争ほど憎いことはない」と語った。
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