徒然想 連載286 花のお寺 常泉寺 住職・青蔭文雄
明けましておめでとうございます。
今月は、発心(ほっしん)、僻越(へきおつ)なれば、万行(まんぎょう)、徒(いたずら)に施す、です。
出典は、中国、唐。荊渓湛然(けいけいたんねん)、『摩訶止観輔行伝弘決(まかしかんぶぎょうでんぐけつ)』です。
意は、発心が正しくなければ、何をやっても駄目、ということです。
発心とは、発菩提心(ほつぼだいしん)の略で、仏の悟りを得ようとする心を起こすこと。その心とは「上求菩提(じょうぐぼだい)、下化衆生(げけしゅじょう)」です。つまり、仏の悟りを実現しようとする無限の向上心をもって、一般の人々の苦しみや悩みを救うことです。自利、他利の両面を兼備える、仏の心を起こすことが第一です。
発心を実現しようと絶えることのない努力をし、その努めを己だけのこととせず、他の人々に振り向けることが大切です、と師は説いています。
正しい発心をする事で、人のためになる行いができるようになり、優しい思いやりのある行動と言葉に表れ、自分の得にならないからといって中断されることはありません。こうした気力や根気は最初の発心に根ざしていると、師は教えています。
桃蹊庵主 合掌
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