綾瀬版 掲載号:2019年6月14日号 エリアトップへ

〈第53回〉渋谷氏ゆかりのコースを訪ねる53 あやせの歴史を訪ねて 綾瀬市史跡ガイドボランティアの会

掲載号:2019年6月14日号

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 治承・寿永の内乱(治承4年〜・1180年〜)、奥州合戦(文治5年・1189年)を生き抜いた百戦錬磨の将だった渋谷光重。今もなお矍鑠(かくしゃく)として渋谷荘の統治者であったが、己の余命に暮色(ぼしょく)が迫って来ている事も自覚していた。実朝の不慮の死以来、様々な風聞が交錯し耳に届いていた。渋谷一族、中でも重直をはじめ主立った者達、思慮分別に苦慮していた。嘗ての渋谷の惣領、高重の轍を踏んではならないとの思いがあった。だが渋谷氏、渋谷一族、この東国の地に連綿と桓武平氏・秩父平氏の矜持を胸に歴史を紡いできた一族だった。今、鎌倉幕府の要職にこそ就いていなかったが、幕府への忠誠は幕閣の枢要にも劣るものではなかったが…!!光重が、渋谷一族が納得が、理解が出来ない事が鎌倉の府で起きていた。有力な幕閣・御家人達、北条家に、義時に敢然と異を唱える者がいなかったのか…!?光重、老いの身に悲憤慷慨(ひふんこうがい)、珍しい事だった。一族の者達、想いは同じだったが必死に宥めた。光重ならずとも、渋谷一族でなくとも、憤るのが当然と思われたが…。鎌倉の府では…!?実朝の葬儀、首が何者かに?持ち去られ、首の無い遺骸で執り行われたのであった!!権力の座に?あった人の葬儀としては、前代未聞の事であった。それでも葬儀は粛々と執り行われ、鎌倉の府は表面上は平穏だった…?北条氏、義時の存在の凄さに側近達も幕閣有力御家人達も圧倒されていた。鎌倉幕府、今は紆余曲折を経て4代将軍として幼少の頼経がその座にあったが所詮、傀儡だった。義時、姉・政子には何かと相談はしていたが、合議制は形骸化していた。一方、後鳥羽上皇、詩歌(しいか)を通じ友誼を深めていた実朝を失い、鎌倉幕府への突破口を失った。上皇の観測は甘かった。実朝の失脚落命で幕府の混乱を推測・想定していたが、豈(あに)図らんや北条義時、尼将軍・政子、北条家へ心を寄せる側近達の結束を見抜いていなかった。また渋谷光重、鎌倉の府で魑魅魍魎が徘徊している様子を情報として、風聞として承知していた。今、光重、己の来(こ)し方を想い、桓武平氏、秩父平氏として治承・寿永の内乱、奥州合戦を駆け抜け、渋谷荘を領有し渋谷氏の名を成してきた身だった。この度の実朝の事件、事もあろうに実朝の首が波多野(秦野)の名古木(ながぬき)の北西、東田原と西田原を結ぶ線上の真ん中辺りより南へ4町余りの場所に葬られていた事が判明。どの様な経緯で3代将軍の首がこの地まで迷走したのか!?思えばこの地、波多野は源家(げんけ)に所縁の深い地で、頼朝の父・義朝の次男・朝長が生まれた地だったが…。光重、この件に言及出来ずして冥界の父・重国、弟・高重に何と報告すべきか呻吟し、周囲の者達も正視に耐えない状態だったが、光重、今は渋谷氏を、一族を低迷させてはならないとの強い思いがあった。悠久の大義も渋谷一族の矜持よりも、渋谷一族の歴史を紡いでいく事を選択したのだった。

     【文・前田幸生】
 

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