横須賀・三浦 コラム
公開日:2026.03.13
三郎助を追う 〜もうひとりのラストサムライ〜
第35回 文・写真 藤野浩章
伊豆韮山(にらやま)代官の36代目当主・太郎左衛門を名乗った江川英龍(ひでたつ)。名前は聞いたことがある方も多いと思うが、この時期の重要人物なので少し触れておきたい。
兵糧(ひょうろう)食として日本で初めて西洋式のパンを焼いた「パン祖」とも言われる彼だが、一番有名なのは息子の代でようやく完成した韮山反射炉だろう。ここで大砲などを製造するための鉄鋼を造ろうとしたように、砲術の専門家として名を馳せた。
当時の幕臣に共通することだが、家を継ぐような男子には徹底した教育を施していたようだ。厳しい身分社会を生き抜いて少しでも禄が高い地位に就けるように、というわけだ。江川も儒学、漢詩、書、絵、蘭学などで当時超一流の人物に学んでいる。知識はもちろん、人脈も幕府内での出世に大いに役立ったろう。しかし一方で、後に小栗上野介と勝海舟のライバル関係に繋がっていくような"家ガチャ"とも言えるような人事の硬直化や、人材の偏りが生まれていた事も否定できない。
その中で彼は領民に「世直し江川大明神」と呼ばれ敬愛されていたようだ。そうなると幕府も彼を放っておかない。海防の重要性を建議し、現場を何度も視察。これで中島清司・三郎助父子と交流を重ねていく。
さらに若い頃に神道無念流の道場で斎藤弥九郎(やくろう)に出会い、彼が練兵館を開く時には資金援助もしている。そして後に同館師範代になる桂小五郎と江川は海防視察などで師弟関係になる。なぜ桂が三郎助を訪ねたのか、これで繋がりが理解できるかもしれない。
しかしその知識と交友関係ゆえに、江川はとんでもない数の仕事をこなしてくことになる。
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