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横須賀・三浦 教育

公開日:2026.03.27

もうひとつの卒業
空っぽの食缶 最高の便り
給食調理員 若梅幸代さん

  • 給食調理員として32年間勤めあげた若梅さん

    給食調理員として32年間勤めあげた若梅さん

 荻野小学校に給食調理員として従事する若梅幸代さん(65)。3月末で任期を迎え、32年間の現役生活に終止符を打つ。沸き立つ湯気の中、重いヘラで大釜を回し続けてきた原動力は、おいしい給食に笑顔を浮かべる児童の笑顔だった。

 調理室に立つ最終日となった3月17日の献立は、いつの時代も不動の人気を誇るカレーライス。ルーから手作りだ。

 3月中旬とはいえ、朝の気温は10度以下。暖房がなく、底冷えする調理室で大量の野菜を水洗いし、かじかむ指先で黙々とニンジンを切り続ける。大釜をかき回すヘラを持つ手は、32年の間に関節が腫れて変形した。

 午前11時40分。校舎いっぱいに食欲をそそる香りが漂い始めた頃、完成した給食は”検食”のために校長室へ。学校給食法に基づいて行われる安全の最終確認だ。

 午後0時10分。各教室に「いただきます」の元気な声が響くと、朝から立ちっぱなしだった調理員もようやく一段落。調理室で給食を味わうが、一時間もすれば後片付けで慌ただしくなる。児童と直接交流する機会はないが、空っぽの食缶が何よりもの「おいしかった」のメッセージだ。

 安全な給食を提供する環境づくりのため、清掃も念入りに。すべての作業を終えたのは夕方。児童が下校した校舎は、静寂に包まれていた。

 一日三食のうちの一食を担う重責を感じ、「本物の味を届けたい」と毎日全力投球してきた32年間。最後の日も「いつもと同じ一日を終えただけ」と特別な感情が湧くことはなかった。

採用試験は競歩

 実家は逗子市のラーメン店。高校生の頃から店を手伝うなど、「食」は常に身近な存在だった。

 結婚し、子育てが落ち着いた頃、知人に紹介された横須賀市の給食調理員の募集。食べること、作ること、保育士にも憧れたほど子ども好きだったこと。すべてに関わりのある仕事で、応募に迷いはなかった。

 採用試験は意外にも包丁さばきなど調理に関するものではなく、主に反復横跳びなどの体力測定。当時は競歩まであった。それは、いかに体力勝負の仕事であるかを物語っていた。

 16・5kgもある食用油の缶を運搬したり、山のような焼きそばの麺を重いヘラで鍋の底からひっくり返したり。夏場は、調理室にこもる40度近い熱気も大敵だ。それでも、「嫌なことや悲しいことも、一瞬忘れさせてくれる力がある」と信じる料理で児童を笑顔にできると思えば、どんな苦労も楽しかった。

受け継がれた思い

 激務を終えて帰宅すれば、休む間もなく家族の夕食を作る日々。そんな背中を見て育った長女は今、母と同じ給食調理員の道を歩んでいる。「手間がかかる献立ほど嬉しい。腕の見せどころだから」と楽しんだ32年間の日々は、色あせることなく次世代へと繋がった。

 「この仕事が大好きだけれど、すべてやり切った。でも、半年くらいしたら寂しくなるのかな」。そう言って、晴れやかな笑顔を見せた。

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