逗子・葉山 社会
公開日:2025.08.08
記憶呼び戻す当時の日記
葉山町在住 長谷川忠信さん
葉山町在住の長谷川忠信さん(88)。戦時中は横須賀市の逸見在住で、当時、父親の言いつけもあり、小学校入学から毎日日記をつけていた。1945年の終戦に向かう記述からは、今、読み返すと穏やかな日々からだんだんと戦局が悪化していく様子や情報統制など当時の社会的状況が読み取れる。
45年元日の日記には家族で初詣に出かけたことと、「お雑煮とごちそうも食べた。ようかんゼリーとみかんがおいしかった」などと子どもらしい日常が書かれ、現代の正月と何ら変わりない生活がうかがえる。様子が変わるのは2月中旬から。初めての米軍飛行機の襲来、防空壕への避難の記述が頻繁に出てくる。
4月になると毎日のように大本営発表の戦果が「巡洋艦〇隻、駆逐艦△隻撃破」などど書き記されるようになる。一方で3月10日にあった東京大空襲についての記載はなく、情報統制があったと思われる。
7月頃になると日記がとびとびになるが、書かれている日はほぼ「空襲」の文字が。「ぼう空ごうの戸を二つしめても爆ふうが来てぼう空ずきんをかぶって耳をおさへてはいっていた」(原文ママ)など、避難の様子が詳細に書かれている。
8月6日の日記には広島への原爆投下の記載はない。「夜のニュースで7月31日に日本の飛行機が米のP―51を1機撃墜。さらに潜水艦を撃沈した」と、この段階でも日本優勢の情報が流されていた。9日の長崎への原爆投下についても同様に記載はない。
そして、迎えた8月15日。「戦争終結日」とあるが、なお「撃墜9機、撃破2機なり」と記載があった。追記で父親の文字で「日本有史以来戦争敗戦」とあった。
「みんな嘘だった」
「戦地に行かなくても戦争体験だよね」。長谷川さんは当時を振り返り、こう語る。
「戦争」を感じるようになったのは小学3、4年の頃。逸見小学校が軍の倉庫になったために沢山小学校に通ったり、今はないが安針塚にあった寺に行ったこともあった。低空飛行をする米軍機のパイロットの顔がはっきり見えたり、逸見の車両基地に爆弾が落とされる瞬間を見たりしたときは恐怖を感じたという。
当時はまさか戦争に負けるとは思っておらず、日記にあるように大本営発表の戦果を信じていたが、「あれはみんな嘘だったのかね」としみじみと語った。そして「今の日本は防衛費が膨らんで戦争の準備をしているような感じがする」と危機感をあらわにした。
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