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逗子・葉山 社会

公開日:2026.07.17

「まるで太陽が落ちてきた」 被爆者が語る広島の記憶

  • 児童らに当時の体験を話す宮川さん(左)と藤原会長

    児童らに当時の体験を話す宮川さん(左)と藤原会長

 「私は”幸運な被爆者”だ」--。1945年8月6日、広島県で被爆した宮川千恵子さん(92・逗子市被爆者の会/つばきの会)は、7月6日、小坪小学校6年生の児童約60人に向け、静かにそう語った。

 授業ではまず、宮川さんの体験を約30分にまとめた映像が上映され、児童らは熱心に耳を傾けた。原爆投下当時、宮川さんは小学校5年生。当日は膝の怪我のために屋外作業を休み、教室の最前列で友人と2人で本を読んでいた。午前8時15分、天がピカッと光った瞬間、轟音とともに教室の窓ガラスや机が激しく大破し、気づいたときには衝撃で教室の後ろまで吹き飛ばされ、友人と抱き合っていたという。

 広島市内にいた父親は爆心地から2・4キロの駅で被爆。体中に火傷を負いながらも山道を通って逃げ帰ってきた。16歳だった高校生の兄は爆心地から1・8キロの場所で建物の下敷きになったが、偶然にも土塀の影にいたため熱線を免れ、生還を果たしたという。

 多くの命が奪われた地獄のような状況の中で、家族が生きて再会できたことなどから宮川さんは自らを「幸運」と振り返るが、被爆の波紋は長く続き、父親は3年後に体の痛みを訴えながら、亡くなったという。

 映像上映後、児童の前に立った宮川さんは、当時の過酷な食生活についても補足。「皆さんは毎日美味しいご馳走が食べられるのだから、残さずしっかり召し上がってください」と語りかけた。

 藤原功紹会長は戦時中の記憶はないが、「だからこそ平和の第一歩は歴史を知ること」と知識を得る大切さを児童らに訴えた。宮川さんは「大人になったら絶対に戦争をしないでください。皆さんの時代には世界の核兵器廃絶が来ますことを願っています」と言葉に力を込め、次の世代へ平和のバトンを託した。

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