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大磯・二宮・中井 コラム

公開日:2022.11.11

大磯歴史語り〈財閥編〉
第49回「安田善次郎【17】」文・武井久江

  • 絶命の場所に建てられた五輪塔

    絶命の場所に建てられた五輪塔

  • 大磯歴史語り〈財閥編〉 (写真2)

 安田善次郎・終焉の号です。大正10年9月27日、安田善次郎は大磯の別荘で朝を迎えました。この別荘は浅野総一郎から譲り受けたもので、寿楽庵と呼ばれました。ここに弁護士・風間力衛と名乗る若い男が訪ねてきました。偽名でした。本名・朝日平吾、彼こそが善次郎・暗殺の犯人です。大正7年頃から各地で米騒動が勃発。普通選挙実施、治安警察法廃止を求めるデモが起きるなど大正デモクラシーと呼ばれる社会運動が盛り上がり始めました。朝日平吾もまた、社会の矛盾を強く感じ、大きな不満と怒りを持つ人間の一人でした。この当時、資産家に対する反感はピークでした。その大いなる犠牲になってしまった善次郎。この日、朝日が善次郎に面会を求めますが、あいにくこの日は、浅野総一郎が設立した浅野昼夜銀行救済という難しい案件が持ち込まれていて、長い時間助言を行っていたため、今日は都合が悪いが「明日、東京の保善社でお会いしようと伝えなさい」と言いましたが、「どうせそう言って、明日も会ってくれないつもりでしょう」と、声を荒げるので仕方なく明日(28日)、大磯で会う約束をしました。残念なことに、その誠実さが悲劇を招いてしまいました。

 当日、書生の山梨は、朝日を玄関から5部屋ほど入った12畳の部屋に案内しました(現・持仏堂になっている)。縁側の籐椅子(現・富山の明治安田生命の2Fにあります)に座り、善次郎は新聞を読んでいました。そこに朝日が入ってきて少し話をしている時に、女中の望月運がお茶とカステラを運んできました。朝日は労働者ホテルの活版刷りの設立趣意書を善次郎に手渡し、説明が終わると寄付を依頼してきました。善次郎はまたかという思いが顔に出てしまったのでしょうか、財布から何枚かのお札を出し帰らせようとしたその瞬間、朝日が凄い形相になり刃渡り八寸ほどの白鞘の短刀を抜いて、彼に襲いかかったのです。いくら元気だと言っても82歳の老人です。50歳以上違う朝日にかなうはずもなく、瞬く間に右胸と顔を刺され、必死に別荘番の名前を呼びましたが届かず、助けが来ぬとわかった善次郎は廊下から庭先へと逃れましたが、それも叶わず、背後から咽頭部にとどめの一撃が加えられ、力尽きました。午前9時20分頃の事でした。絶命の場所は、後に奥様が亡くなられたあと合祀され、現在は五輪塔が祀られています。

 本当に「陰徳を積め」が誤解を生み、日本のために尽くした方なのに。関東大震災も彼が生きていたら、復興も早かったと言われています。次号で後日談。(敬称略)

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