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公開日:2026.05.21

平和への願い 歌声に込め ウクライナ避難民合唱団が5月28日、フィリアホールの慈善コンサートに出演【横浜市青葉区】

  • スタジオで練習を重ねるウクライナ避難民合唱団「ウクライナ日本芸術」

    スタジオで練習を重ねるウクライナ避難民合唱団「ウクライナ日本芸術」

  • 平和への願い 歌声に込め (写真2)

  • 平和への願い 歌声に込め (写真3)

  • 活動への思いを語るナタリヤさん

    活動への思いを語るナタリヤさん

  • ヴォロディミルさん(右)とテチヤナさん

    ヴォロディミルさん(右)とテチヤナさん

  • ウクライナの魅力を語る澤田さん

    ウクライナの魅力を語る澤田さん

  • 平和への願い 歌声に込め (写真7)

 ロシア軍がウクライナの首都キーウを含む広範に地上侵攻を仕掛けた日から丸4年が経過した。本記事起稿時点(5月13日)で、長引く戦争をどのように終わらせるのか、具体的な道筋は不透明のまま。

 戦禍を逃れるため、祖国を離れて避難をしているウクライナ人は全世界に約600万人いるとされる。ウクライナのオデーサ市と姉妹都市提携を結んでいる横浜市も積極的に避難民を受け入れてきた。時間の経過とともに、「緊急避難」から「長期滞在・定住」へと支援のフェーズは移り変わってきている。

 日本ウクライナ芸術協会(代表・澤田智恵さん)が設立したウクライナ避難民合唱団が2024年から市内を拠点に活動を続けている。この内5人は緑区内で暮らす避難民で、彼らは5月28日(木)、青葉区内で開催されるウクライナ孤児支援のチャリティーコンサートで歌声を披露する。異国の地でどのような日々を送っているか、ウクライナ人として世界に何を発信していきたいか、本番を前に合唱団メンバーたちにインタビューを行った。(協力:澤田さん)

 青葉区内のスタジオで練習を重ねる合唱団。カラフルな刺繍が施されたウクライナの民族衣装「ヴィシヴァンカ」を身にまとう。侵攻から1カ月後には長期化が確実視され、命の安全のため避難を選んだ彼らは、祖国に思いを馳せ、歌う。

スームィ州出身・ナタリヤさん

 ウクライナ北東部、ロシアとの国境から約25Kmに位置するスームィ州ショストカで夫婦で暮らしていたナタリヤさん(70代・女性)。侵攻が始まった直後について、「この町はロシア軍に包囲され一時的に封鎖状態となった」と緊迫した当時の状況を振り返る。首都・キーウへの「通過点」となることから標的にされた。自警団や一般市民による決死の抵抗でロシア軍の補給線を断ったことで幸いにも占領は免れたという。

 ナタリヤさんは22年末、日本にいる娘を頼って緑区に避難してきた。「最初は戸惑いました。全てが違っていました」

日本で結成

 緑区は、ウクライナ避難民が市内でも特に多いエリアだったことから、23年2月から月に1度、情報交換や困りごと解決のための集いの場として「MIDORI CLUB」(横浜YMCA主催)が十日市場地域ケアプラザで開かれるようになった。この場にウクライナ支援のための演奏活動を行っているバイオリニスト・澤田さんが訪問し、ウクライナの曲を演奏した。すると、母国の音楽を聞いたウクライナ人たちが大合唱。会場はスタンディングオベーションに包まれた。

 演奏後に澤田さんから「合唱団をつくりませんか」と思わぬ提案があり、ナタリヤさんは魂を揺さぶられた。「遠く離れた地で母国の歌を歌えるなんて。雷に打たれたようだった」と言い、思いを共にするウクライナ避難民に呼び掛け、合唱団の活動を始めた。

母国語への誇り

 合唱団のメンバーは11人。20〜70代の女性と70代の男性から成る(現役世代を中心に60歳までの男性は「総動員令」により、原則として出国が禁止されている)。コンサートで披露するのはウクライナの讃美歌『ウクライナへの祈り』。「戦争が始まるまで誰が何語を話そうが気に留めたことはなかった」とナタリヤさん。ロシア語も流暢に話せるが、ウクライナ語を使うようになったという。母国への誇りを胸にウクライナ語で歌声を届ける。

歌うことが「心の支え」日本での暮らし、5年目に戦禍逃れ、緑区で結婚

 西ウクライナの文化の中心地とされる都市・リヴィウから避難してきたヴォロディミルさん(70代・男性)とテチヤナさん(70代・女性)。2人はウクライナで知り合い、結婚の話を進めていたが侵攻開始と重なった。リヴィウにも空襲警報が鳴るようになり、国内で結婚することは叶わず22年3月に日本へ避難。しばらく経った23年1月、緑区役所に婚姻届を提出して、晴れて夫婦となった。「今では日本を第2の故郷のように感じている」と口をそろえて語る。

 「日本人は友好的で親切。道に迷ったときも、電車の乗り方が分からないときも丁寧に教えてくれた」とヴォロディミルさん。日本での生活に馴染んできたが、一方で避難生活が長くなったが故の不安も抱えている。

帰れない、不安募る

 「避難できた私たちのことを、避難せず国に残った人たちはどう思っているのだろう。帰ったときに知らない国に変わっているのではないか」と、不安の声を漏らすテチヤナさん。また、4年も経つとその間に亡くなる友人も多く、「帰ったときに彼らはいない。お別れができないまま」と、日本にいることに心咎めを感じることもあるという。

 合唱団としての活動は、そんな不安定な心を支える時間にもなっている。「合唱を通して孤児支援の寄付を集められる。自分も支援活動の一員になれている、という感覚は私たちの心の支えになっている」とナタリヤさんは話す。テチヤナさんも「合唱団の活動なくして日本での生活は考えられない」と言い、練習ができる日を心待ちにして過ごしている。

 ある日、ランドセルを背負った小学生が笑顔で「バイバイ」と手を振ってきた。日本では当たり前の光景だが「うれしくなる」とヴォロディミルさん。ナタリヤさんも「いつか、世界中の子どもが日本の子どものように、命の心配なく安全に過ごせる日が来るように」と願いを語った。

友に手を差し伸べる感覚で日本ウクライナ芸術協会代表・澤田智恵さん

 日本ウクライナ芸術協会が主催する今回のコンサート。収益の一部は孤児支援に活用される。寄付先はウクライナ法務省に1996年に登録された基金「Приятелi дiтей」(子供達の友人達)で、同基金が孤児や前線地域の子どもたちを無料招待して開催するサマーキャンプの費用に充てられる。

 澤田さんはこれまで、キーウをはじめウクライナ各地で現地国立楽団らとコンサートを行い、ウクライナという国やそこで暮らす人々と深いつながりを築いてきた。「私にとってウクライナは身近な存在」と言い、チャリティーコンサートの成功に向けて骨を折るのも「目の前に困っている人がいたら手を差し伸べるのと同じ感覚」と話す。

「好き」でつながる

 しかし世間では、戦争が長期化するにつれてメディアでの報道も減り、人々の支援の気持ちも次第に薄れていった。「支援疲れ」という言葉が使われることもあった。

 それでも変わらず澤田さんがウクライナ支援のコンサートを続ける理由は「好きになってファンになれば、助けたい気持ちはなくならない」という確信があるから。合唱団のメンバーには「あなたたち一人ひとりが生のウクライナを伝えられる大使です」と伝え、「音楽を通してウクライナに興味を持つ日本の方が一人でも増えてくれたらうれしい」と心を燃やす。

 戦争という望まない形で注目が集まってしまったウクライナだが「人々は優しく、土地は肥沃で食べ物が美味しい。『黒海の真珠』と言われる美しい街並みに、刺繍に象徴される暮らしを彩る美的センスなど、この国はポテンシャルがある」と熱がこもる。「かわいそう」ではなく「好き」の感情でつながる支え合いの形を目指してコンサート当日に臨む。

------(追加インタビュー)------

 ヴォロディミルさんとテチヤナさん、ナタリヤさんのほかに、合唱団メンバーのウリヤナさんとナディヤさん、ガリーナさんにもインタビューを行った。彼らに、侵攻当時の緊迫した状況や、日本での暮らし、戦争に対する考え、合唱団の活動に懸ける思いなどを聞いた。

ウリヤナさん・50代女性

――侵攻が始まったとき、どのような状況でしたか?

「2022年2月24日のロシア侵攻当時、私はキーウにいました。朝、爆発音が聞こえて、後ほど職場の同僚から『戦争が始まった』という電話がありました。事態の深刻さを理解したのは後になってからでしたが、安全な生活が失われたという感覚はすぐに押し寄せました。家族にとって最も悲惨な出来事は、ドネツク方面でウクライナ防衛に努めていた姪の夫が2022年12月に戦死したことでした。2023年4月、彼らの娘、ソロミヤが生まれましたが、彼は娘に会うことがありませんでした」

――いつ日本に避難しましたか?また、日本ではどのような生活を送っていますか?

「2022年3月23日、私は日本へ渡航しました。現在、私は娘と暮らしています。今は安全な環境にいる認識ができて、日本人の生活様式も十分に慣れてきました。日本語も日常会話レベルで話せるようになり、国立市の児童文化芸術センターで働き、ボランティア活動にも参加しています」

――日本の印象は?驚いたことや大変なことはありますか?

「到着した飛行機の乗客の中に新型コロナウイルス陽性者が出たという予期せぬ事態が発生し、さらに10日間隔離生活を送ることになりました。ちょうど桜の開花時期だったため、自宅の窓からしか桜を見ることができませんでした。しかし、安全なところにいる感覚が勝ち、こうした些細な不満はすべて吹き飛ばされました。日本で最初に気づいたのは、花々の多様さ、街の清潔さ、自動販売機で様々な飲み物が手に入ることなどでした。

日本は自然に恵まれた国です。健康に良い温泉、きれいな山々、川、海、そして多様な気候条件は、活動的かつ回復的な生活を送る上で、計り知れないほどの宝物です。危険は自然災害(地震、津波)と、夏の高温多湿だけです。これらは、このような気候に慣れていない人にとっては、血圧の急激な変動、めまい、全身の倦怠感などを引き起こします。

日本での4年間の生活は、私に新たなスタートを切る機会を与えてくれました。活動の方向性をより創造的なものへと変え、日本人からは新しい生活スキルを身につけなければならない際の忍耐強さを学びました。また、日本の歴史の長い文化(武家茶道)を学ぶ機会も得ました」

――今回の戦争に関して、どのような思いや考えを持っていますか?

「祖国の自由のために闘うウクライナの人々との連帯感は、より一層強固なものとなりました。私は、ウクライナ国民がロシアの占領者から一刻も早く解放されたいと願う痛み、恐怖、そして切なる思いを、心から共有しています。ウクライナ大統領とウクライナ国民は、ロシアによる非人道的な戦争を終わらせるために全力を尽くしていると信じています。

現代の戦争は全人類にとって大きな脅威です。したがって、軍事侵攻に対する迅速な対応と専門的な解決ができる国際特別委員会をつくることは今、人類にとっての緊急課題なのです。これらの委員会は、テロリストを的確かつ公平に排除し、被災国に必要な支援を提供できる機能も備えていなければならないのです」

――どのような思いで合唱団の活動に取り組んでいますか?

「私が合唱団に参加することは、日本とウクライナの人々の善意の表れであり、異なる国の人々が、地球上のすべての人々の包括的で活力に満ちた一体性として一人ひとりの命を大切に思えるようになる日が近づくことを願うものです。

私たちの合唱団の演奏は、世界各国と平和に暮らすという私のウクライナの願いの実現に一歩近づくものです。

今こそ、すべての人々が互いに向き合い、忍耐と相互尊重を学ぶべき時です。なぜなら、生命の本来の循環の一部として、人類の一番大事な使命は、地球上の自然の法則と一体化することだからです」

ナディヤさん・70代女性

――侵攻が始まったとき、どこにいて、周りはどんな状況でしたか?

「キーウ市にいました。飛行機の着陸音や爆撃の音を聞きながら避難しました。キーウ近郊のイルペンにある橋が破壊されたため、ルートが変更された列車に乗りました。人々は座ったり立ったり、中には車両の床に半身を起こして横たわっている人もいました。多くの人が駅のホームに残され、乗り切ることができませんでした...。そのとき列車の隣人に電話がかかってきました。彼は、ブチャにある自宅が爆撃され、その中に娘と孫娘がいたという知らせを受け取っていました。彼はずっと泣いていました。その悲劇は私たちにも響き、ぞっとするような恐怖を感じました」

――どのようにして日本に避難してきましたか?また、どんな生活を送っていますか?

「リヴィウからポーランドへ避難し、2週間過ごしました。9月まではイタリアに滞在し、2022年9月22日に日本へ避難しました。

日本では家族全員で滞在しています。私、夫、そして障害のある息子です。3人の子供たち(息子と2人の娘)はウクライナに残り、戦争での勝利を近づけるために協力しています。

横浜市中区に住んでいます。家の近くにはバラ園や海があり、仕事場もあります。Hom'sのペット用品部門で働いています。空き時間には、日本語を学んだり、オンラインや独学で勉強したりしています」

――ウクライナのほかにも、世界各地で争いが起こっています。この現状に対して、何を思いますか?

「ウクライナや世界で起きているニュースは、心が重くなり、胸が痛むものばかりなので、できるだけ主要な情報だけに限定して聞くようにしています。

いかなる国の領土への侵攻や占領も、それは暴力であり、悲しみ、涙、そして災いをもたらします...。自由と独立を選んだ国として、私たちはウクライナを支持します。

戦争が一日も早く終わることを願っています。日本政府、様々な団体、そして日本人の皆様の配慮のおかげで、私たちの生活は安定しています。私たちの夢は、戦争が終わり、ウクライナに帰ることです」

ガリーナさん

――日本での生活には慣れましたか?日本のまちや人々の印象について、どのように感じていますか?

「日本人の皆様の優しさ、気配り、心からの笑顔、そしていつでも助けようとしてくれる気持ちに、心から感謝しています。人々の礼儀正しさや振る舞いは、どの国でもめったに見られないもので、とても気に入っています。人々は非常に礼儀正しく親切で、日本の学校や大学での教育の完成度の高さがうかがえます。

公共交通機関での静かな会話、感情の表出を控える姿勢は、恋人同士の間でさえも同様です。誰も抱き合ったり、手をつないだりすることはありません。皆が車両への乗降の順番をきちんと守っていることに驚かされます。どこにも混雑がなく、すべてがルール通りに進んでいます。道路の安全さと歩行者への配慮も気に入っています。子供たちでさえも安全です」

ヴォロディミルさんとテチヤナさん

――どのような思いで合唱団に参加して、日々の練習に取り組んでいますか?

「親愛なる日本の人々に、私たちの文化を共有したいと思いました。私たちのリーダーである澤田さんには、そのたゆまぬご尽力に対し、喜びと感謝の意を表します。ウクライナや世界のニュースを大きな不安を抱きながら見守っています。善と悪の戦いが続いています。すべての戦争が終わることを願っています」

ナタリヤさん

――合唱団の活動を通して、日本人や世界の人々に伝えたいことはありますか?

「ウクライナ国民には、戦争の中で独立したウクライナを勝ち取り、国家、言語、文化、芸術を守り抜くという運命が課せられました。ウクライナの人々に、扉だけでなく心までも開いてくださった日本国民の皆様に、心から感謝申し上げます。皆様の温かさ、支援、そして理解のおかげで、私たちはこの困難な時期を乗り越え、生き延びることができています。ありがとうございます。戦争は恐ろしいものです。皆さん!平和を守り、私たちの家である地球を守りましょう」

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