鶴見区 コラム
公開日:2026.06.04
「土木事業者・吉田寅松」70 鶴見の歴史よもやま話 鶴見出身・東洋のレセップス!? 文 鶴見歴史の会 齋藤美枝 ※文中敬称略
交通安全発祥の地
国立市の谷保天満宮の梅林には、明治四十一年八月一日の有栖川宮ご先導による遠乗り会が無事におわったことを記念して「有栖川宮威仁親王殿下台臨記念」の碑が建てられた。谷保天満宮は、「交通安全発祥の地」と称し、有栖川宮が吉田真太郎の東京自動車製作所につくらせた国産ガソリン自動車「タクリー号」のキーホルダーや交通安全の絵馬などが頒布されている。
三日後には有栖川宮のダラックと吉田式タクリー号とで日光までのドライブを楽しんだ。真太郎は、武官や侍従と一緒に有栖川宮が運転するダラックに同乗し、タクリー号は武官が運転し、三か月後に徳川慶喜の嗣子慶久と結婚する実枝子姫とお付きの女性たちが同乗した。
有栖川宮に国産車製造の苦心などをたずねられ答え、談笑しながらのドライブは、真太郎にとって誇らしく、夢のような一日となった。
明治四十一年十一月八日、有栖川宮の実枝子女王が徳川慶喜公爵の嫡男慶久に降嫁したことを記念しておこなわれた「有栖川宮家御慶事記念多摩川遠乗り会」は、木挽町の双輪商会前から出発した。
明治四十二年十一月、真太郎は、イギリス製の車を購入するという北白川宮成久王に、自動車の原理や運転方法を話しながら、青梅街道の往復ドライブを満喫した。
東京自動車製作所
明治四十二年一月七日の国民新聞には「自動車横行闊歩」「東京市中にすでに三十八台」の見出しで「最近自動車熱が高まり郵便局でもこれを用いて警視庁でも購入する。昨今盛んに東京市中を疾走する様を見ると、日本全国では大分な数であろうと思われる。東京では三十八台が毎日活動している」とある。
その内訳は、有栖川宮二台、大隈重信、渋沢栄一、大倉喜八郎、古川市兵衛、日比谷平左衛門その他の実業家で十五台、三井呉服店二台、亀屋鶴五郎などの商店で三台、外国人が八台、陸軍省二台、新聞社二台、帝国運輸自動車十三台、大日本ビール一台。
このうち廃車が十台あり、ほかに売り品が五台。フランス製十八台、イギリス製十二台、アメリカ製四台、イタリア製二台、ドイツ製二台他。大倉所有の六十馬力が二万五千円が一番高価で、次が四十馬力ぐらいの一万円前後が多数を占めている。
「日本製が八台あるのは注目すべきことである。これは京橋の自動車製作所で造ったものだ」と特筆されている。八台の国産車を造った京橋の自動車製作所は、吉田寅松の長男真一郎が経営する東京市京橋区木挽町四丁目の東京自動車製作所である。
日本最初の貸自動車業
真太郎が、アメリカから持ち帰った部品を改造して製作し、広島で営業を開始した日本最初の乗合馬車「かよこ号」は、わずか九か月で営業停止となったため、代金回収もままならなかった。
真太郎は、タクシー業や運転手派遣業、自動車学校などに活路を見出そうとした。
明治四十年四月三日の「時事新報」に東京自動車製作所の広告が掲載されている。
「自動車製造、販売、修繕、改造、運輸、設計」「当営業所は本邦における唯一の自動車製作所にして欧米各国製造方の薀奥を研究し堅牢にして廉価なる車輛を制作し、有栖川宮殿下よりは特に御乗用車の制作を拝命し、目下製作中にあり、ご希望の各位は工場の展覧ご随意なり。第二回ちどり号自動車予約発売、予約品の正価一輌金二千円也、予約価格一輌金千五百円也、予約車輛数二十輌」とあり、さらに翌日には、新たに自動車運輸株式会社を設立するので株式と運転手見習生募集の広告を出している。
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