麻生区版 掲載号:2018年9月21日号
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柿生文化を読む 第133回 シリーズ「麻生の歴史を探る」津久井街道〜登戸宿、竹の花宿 前編

 ご存知の柿生音頭(志村昇作)の一節に、「♪津久井街道 相模と江戸を 結ぶ縁(えにし)の絹の道〜♪」と唄う道がありました。現在の地方主要道世田谷線がそれですが、津久井の谷間の村々から始まるこの道は、相模、町田、鶴川、柿生、生田、登戸で多摩川を渡り、世田谷、三軒茶屋で大山街道と合流、渋谷、赤坂御門に至るもので、麻生を通るこの道は、鎌倉時代の義経道から、室町時代の義貞道、そして江戸時代、名産禅寺丸柿、黒川炭などを運ぶ江戸道となり、時代とともに道筋も変え、その歴史を語ってくれています。

 この江戸道が絹の道と名付けられるのは、江戸時代中期、天明年間(1781〜89)、津久井、愛甲、相模に起こった絹織物が、八王子の問屋を通さず、直接江戸に販路を求めたことによるものです。この地方には、ウルシ(塗りもの)、煙草、蕨(わらび)、石材、川魚などがあり、江戸百万町民の嗜好はこれを好み、人馬、行商人の往来がこの道を賑わせていました。

 この津久井道で一番賑わいを見せたのは”登戸宿”で、ここは多摩川の渡船場、奥多摩で切られた木材を筏に組む集積場、海路運ばれる石材を荷受けする石河岸、そしてこの登戸の宿は農民渡世の左官職人の土地として知られ、天保九年(1838)、登戸の宿には宿屋が4軒、居酒屋が13軒、煮物屋が8軒。それは川崎、四宿、東海道川崎宿を除き、中原街道小杉宿、大山街道溝の口宿を上回る賑わいだったそうです。渡船場は現登戸駅と多摩水道橋の中間、石河岸運河、木材の集積所はその上流にあったそうですが、渡船は馬船と呼ばれる船頭3人漕ぎの全長8〜9m、幅3m、床を二重張りの船が人馬や荷車を乗せ、木材は筏に組まれて六郷河岸に流され、石河岸は現吉沢石材店に通じていたようです。

 この津久井街道は、麻生区柿生にも「竹の花宿」と呼ぶ宿場を残しています。そこは上麻生字仲村、現麻生水処理センターに接するところで、昭和初年柿生の養蚕関係を記録した年表には、「文化十年(1813)江戸呉服商55人による八王子仲買人を通さない江戸直売が始まり、柿生を通る津久井街道が絹の道として賑わった」と記されています。

後編に続く

参考資料:「川崎市史」「ふるさとは語る(柿生郷土史刊行会)」「津久井街道(稲田図書館)」「歩け歩こう麻生の里」

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