麻生区の歩みと重なるように区内で育ち、20年前のデビューから、舞台、ドラマ、映画と幅広く活躍する。キャリアを重ねる中でも、「自然の中での体験や、麻生区で過ごしたすべての経験が今の活動に生きている」と、育ったまちへの思いは常に深くある。
麻生の山を駆ける
市立東柿生小、市立柿生中を卒業。生まれてから二十代後半までを麻生区で暮らした。幼少期で真っ先に思い出すのは「山を駆け回ったこと」。早野の山や柿の実幼稚園の裏手で、鬼ごっこやクワガタ取りをして遊んだ。「東京に来て、『うちの地元って田舎なんだ』と思った」と笑みがこぼれる。「緑が多い中で過ごした経験は、大人になった今、改めて麻生区ならではだったなと思う」と追想する。
小学校、中学校ともによく言われたのが「挨拶しましょう」という言葉。「昔ながらの風情で、帰り道に『今日はどうだった?』と話しかけてくれる大人も多く、地域で子どもを育てようという感覚だったのかもしれない」。何度も教えられたことは「今いるエンターテインメント業界でも、まずは挨拶が基本。根幹のコミュニケーションは地域の人たちが教えてくれた」。
「変わらぬ雰囲気」に愛着
「昔からあるおもちゃ屋とか、あまり変わってない雰囲気が好き」という柿生。連続テレビ小説「純情きらり」の出演が決まっていた頃には、柿生のスーパーでアルバイトもしていた。
先月公開した初作詞曲のリリックビデオには、中学の通学路で使っていた「おっ越し山」など、地元の風景が思い入れのある場所として使用されている。昨夏に、自ら現地で撮影した。
コロナ禍前には、よく地元で同級生と飲みに行った。所属していた少年野球のコーチと居酒屋で偶然再会したことも。「『テレビ見てるぞ』と話しかけてくれてうれしかった」。少年野球のチームメイトの母親たちは団体で舞台を見に来てくれた。「関わっていた地元の人たちの応援があたたかく、ありがたい」
エンタメに携わる今、「芸術のまち」を振興する麻生区に対し、「特に新百合ヶ丘は、両親を含め高齢の世代が近場で楽しめる場所があるのがいい」と思いを寄せる。新百合ヶ丘の映画館では舞台挨拶をしたこともある。「よく行っていた映画館に立つことなって、うれしくもあり、こっぱずかしくもあり」と照れくささもあった。またいつか、地元凱旋を願う。
「いい意味で田舎っぽくて、遠くない距離感で帰れる場所」という故郷・麻生区。まちの未来については「緑と共存できる麻生区が素敵だと思う。土があり、穏やかな空気が流れるまちでいてほしい」と語る。
22年は「自分が楽しむ」
舞台や初出演した大河ドラマなど「2021年は刺激的な作品が多かった」と振り返る。コロナの影響で公演中止になったものもあったが、「いろんなジャンルをやらせてもらった」と財産になった。活動の中でも、バンドの有観客ライブは「ソーシャルディスタンスを取りながらも、お客さんと同じ空間で、直接思いを届けられるのは素敵なことだと改めて思った」と振り返る。
年明けからミュージカル、春にも舞台出演を控え、バンドの全国ツアーも予定する。今年の目標は「自分が楽しむこと」と宣言。「人と関わるのは楽しさも苦しさもあるが、ここ2年誰もが苦しい思いをしてきた分、みんなでハッピーな気持ちになりたい」。曇りのない言葉だ。
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![]() 通学路として歩いていたおっ越し山の道
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![]() 「街並みが変わらない」という柿生駅前
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